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米良はるか がんで自覚、経営も人生も一人で抱えない

READYFOR社長インタビュー(前編)

NIKKEI STYLE

2011年3月29日、23歳のときに日本初のクラウドファンディング「Readyfor」をスタートさせた米良はるかさん(31歳)。14年7月にREADYFOR(レディーフォー、東京・文京)として法人化し、現在は社会貢献や企業の活動や事業はもちろん、地方創生、大学の研究費といったこれまで「お金が流れにくかった分野」での資金調達の仕組みを作りつつ、急成長を遂げている。一方で米良さんは17年7月に血液のがんである悪性リンパ腫を宣告され、約半年、休業した。この難局を、米良さんはどのように乗り越えたのか。前編では病気との闘い、後編ではREADYFORが目指す世界について聞いた。

人生100年時代、病気と共に生きていく人は増える。だから公表した

──18年12月に、ブログでレディーフォーとしての情報発信をスタートしましたが、それ以前、17年10月20日に、米良さん自身がブログを始めていますね。その最初の記事が病気の公表でした。

米良はるかさん(以下、敬称略) それまでもフェイスブックで発信してきましたが、長い文章を書くのであれば、エモーショナルな気持ちを伝えやすいシステムのブログで伝えたいと思いました。

最初に書いた17年10月20日の「30歳になりました。いま、癌(がん)と闘っています。」は、実務的な理由もあって書きました。

同年7月に悪性リンパ腫を宣告され、当時すでに会社を休んでいましたが、それまで顔を出していた様々なコミュニティーに顔を出さなくなったことから、「米良はるかに何かあったのか」という話が飛び交っていると聞いたんです。

悪性リンパ腫はステージが分からない段階から抗がん剤投与を始めなければならないがんなのですが、約3カ月がたち治療が進んできたこと、そして「病気も自分の構成要素の一つ」と思えたこともあり、公表しようと考えました。人生100年時代、病気と付き合いながら生きていく人は圧倒的に増えていく。そうした状況を、互いに支えあえるような社会になってほしい。そうした思いもあり、会社の状況も自分の状況も、自分の言葉で伝えようと思いました。

──米良さんはレディーフォーの創業者で最高経営責任者(CEO)という立場です。経営者として、公表することに不安はなかったのでしょうか。

米良 一部の方から見ると「レディーフォー=米良はるかがやっている会社」というイメージもあったかもしれません。公表することで「この会社は大丈夫なのか?」と過度に心配されるのではないかといった不安はもちろんありました。ただ、私が休みに入ってからも会社はすごくうまくいっていたんです。だからこそその時点での会社の状況、うまくいっているという事実をどう伝えるかを、経営陣、広報担当と相談して決めていきました。

世の中も会社も人も「分からないもの・分からないこと」に対して恐怖を覚えるもの。つまり私はこういう状況なのだということをちゃんと伝えるということで世の中の人たちも「良くなってきているんだ」と分かっていただけるようになりました。

経営も人生も、一人で抱え込まない

──確かにあのブログ記事はエモーショナルでありつつも、ご自身を客観視できていますし、病気を冷静に受け止めているように見えました。

米良 もちろん、「どうしよう」と動揺しましたし、休業前、経営陣に伝えるときにも冷静ではなかったですよ。会社でみんなに話すときにも号泣してしまいましたし。

最初の状況を把握するのは仕事でも病気でも怖いこと。ただ、事実が正確に分かり、イシュー(論点)が特定できればその道の専門家を集めて解決できるもの。だからこそ自分ができないことを、できる人に伝えて、助け合いながら進んできています。それぞれの強みを生かし、「誰もがやりたいことを実現できる世の中をつくる」というビジョンに向けて、そして「既存の金融サービスではお金が流れにくかった分野へ、思いが乗ったお金を流通させる仕組み」をつくるために進んでこれている。

私はあまり強い人間ではなく、トップダウンで事業を進めるタイプの経営者ではありません。自分で何もかも決めるのではなく、適切な人に適切に情報をもらいそれを判断する、周囲のサポートを得て意思決定・判断することが習慣化しています。それは経営に対しても病気に対しても同じだと思います。

──ご主人には病気について、どのように伝えたのですか。

米良 病院に通い始め、病気かどうかも分からない段階から、パートナーとして一緒に病状を把握してもらいました。一人で向き合うことはあまりしないで頼るんです、すぐに(笑)。これは会社経営でも同じで、社員と役割分担し、一人で抱え込むことがないようにしています。

経営者としてこの会社をどうしていくのか

──闘病を経て、経営者として変わられた部分がありますよね。

米良 そうですね。まず大きかったのは、最高執行責任者(COO)の樋浦直樹や最高財務責任者(CFO)の元田宇亮が、私がいつ戻るかもどうなるかも分からない状況下でも、会社を守り、かつ成長させてくれたこと。

基本的にベンチャー企業は、何かを間違えない限り勢いがあるうちは右肩上がりで伸びるもの。ただ、周囲の状況が変わったときに経営判断を誤れば「下り坂になるかもしれない危機」が常にありますし、そうした危機に結び付きかねないCEOである私の病気はリスクであり得たかもしれません。しかし、病気発覚というときに、一緒に頑張ってきた経営陣がきっちりサポートしてくれた。そして「休んでください」「会社のことは全く心配しなくていいから」と言ってくれたことで、スッと休むことができました。

会社がどんどん成長していく中で、覚悟を持って一緒にやっていく仲間が、私にはちゃんといるんだなと改めて感じられた瞬間でした。

それと同時に、今一緒にいるこのメンバーの、一度しかない人生を豊かにするためには、この会社をどうしていくのか、何を実践していくかを真剣に考えることが自分の役割だなと改めて感じました。

きのう決めたことを今日実現していきたい

──闘病を経て生活スタイルで変わったことはどんなことでしょうか。

米良 一つ、変わったとしたら、以前よりあまりストレスを感じなくなったこと。

私は「止まること」が苦手で、きのう決めたことが今日実現しているという状況がすごく好きなんです。その意味において今、会社が様々な面から補強されて、良いメンバーが集まり、さらに経営陣の目的意識も高まってきていることで、きのう決めたことを今日実現し、さらにあしたは新たなことに取り組んでいく……とやればやるほどどんどんドライブがかかって進んでいくんです。

──闘病を経たからこそ、時間の使い方もよりスピード感を増したのかもしれませんね。

米良 そういう面はあると思います。すごくハードではありますが、意思決定するスピードがアップしていて、今の状況がとても気持ちがいいのです。(後編に続く)

米良はるか
1987年生まれ。2010年慶応義塾大学経済学部卒業、12年同大学院メディアデザイン研究科修了。大学院時代にスタンフォード大学に短期留学し、帰国後11年に日本初・国内最大のクラウドファンディングサービス「Readyfor」を立ち上げ、2014年「READYFOR(レディーフォー)」として株式会社化、代表取締役CEO(最高経営責任者)に就任。11年世界経済フォーラムグローバルシェイパーズに選出され、日本人史上最年少でダボス会議に参加。現在は首相官邸「人生100年時代構想会議」議員や内閣官房「歴史的資源を活用した観光まちづくり連携推進室」専門家を務める。

(ライター 山田真弓、写真 小川拓洋)

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