訪日客から新たな感性 グンゼ社長 広地厚さん(もっと関西)
私のかんさい

2018/12/25 11:30
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 ■1896年創業のグンゼの発祥地は京都府綾部市。2017年から社長を務める広地厚さん(58)は大阪府出身で、商品企画の仕事に就こうと地元の繊維メーカーであるグンゼに入社した。

 ひろち・あつし 1960年大阪府生まれ。83年に岡山大学法文学部を卒業、グンゼ入社。靴下などアパレル事業に一貫して携わり、ブランド集約など構造改革も担当した。2010年執行役員、14年常務などを経て17年から現職。

ひろち・あつし 1960年大阪府生まれ。83年に岡山大学法文学部を卒業、グンゼ入社。靴下などアパレル事業に一貫して携わり、ブランド集約など構造改革も担当した。2010年執行役員、14年常務などを経て17年から現職。

子供のころは、クラボウで働いていた父の転勤に伴い引っ越しを繰り返した。岡山大学法文学部に入り、卒業したら商品企画に携わりたいと考えていた。思い浮かんだのは繊維業界。トレンドや消費者の視点を取りいれたものをつくる仕事に憧れた。

父と仕事の話をしたことはなかった。ただ、クラボウに出勤する姿などを見ているうちに、繊維業界を身近に感じていたのかもしれない。アパレルメーカーからも内定をもらったが、地元である関西の企業で働きたかったため、グンゼに入社した。一貫してアパレル事業に携わった。

最初は靴下部門に配属され、東京都で営業を担当した。スーパーに出向いては靴下を売り場に置いてもらうよう依頼した。毎日のように通ったが、苦にはならなかった。そのかいもあって取引先と良好な関係を築くことができた。

 ■しかし、靴下事業の経営環境は厳しかった。グンゼに入社したのは石油ショックのあと。日本は安定成長期や低成長期に入り、靴下市場は縮小していった。

当社も工場閉鎖やブランド集約などの構造改革を迫られた。11年にはストッキングを生産する綾部市の工場を閉鎖した。当時は靴下事業本部長に就いていた。工場の従業員や外注企業に頭を下げて理解を求めた。工場閉鎖はつらい決断だったが、身の丈に合うところまで整理しなければならなかった。

入社当初は靴下部門の営業を担当した(左から2人目が広地氏)

入社当初は靴下部門の営業を担当した(左から2人目が広地氏)

商品開発ではストッキングブランド「SABRINA(サブリナ)」の立ちあげにかかわり、プロモーション活動の戦略を練った。かつてストッキングはナイロンだけを使った商品が主流だった。ポリウレタンを混ぜてフィット感を高めた商品が出てきたときに、当社もサブリナを投入した。オードリー・ヘップバーンのポスターなどが受けてヒット商品となり、いまでは当社を代表するブランドに育った。

幼いころから読書が好きだった。作家になりたいと思っていた時期もあるくらいだ。目の不自由な人のために朗読活動をしていた母の存在も影響しただろう。工場閉鎖などのときの行動の指針になったのは、書物に登場する人物の言動や人生観だった。池波正太郎や司馬遼太郎の作品から、ビジネスパーソンとしての立ち居振る舞いなどのヒントをもらった。

 ■消費者の低価格志向は根強く、価格競争は激しい。そんななか商品の価値やものづくりを見直すきっかけになっているのが、関西で増えている訪日外国人客だという。

訪日客は日本人と違った視点から商品を見ている。裾を切りっぱなしにして縫い目をなくしたカットオフの肌着やタイツなどを、いい商品と感じてくれているようだ。訪日客が増えたことで「こういうものが評価されるのか」と、新しいニーズに気づいた企業は多いのではないか。

高い技術力を生かした日本の商品は、少し高くても彼らに価値が認められて買ってもらえる。日本の繊維業界を見ると、製糸会社は高品質の糸をつくり、加工技術も極めている。いまも価格競争に巻きこまれている企業がある。いいものをつくり続ければ、訪日客のように認めてくれる消費者はいるはずだ。

25年に大阪市で国際博覧会(万博)が開催されることが決まった。20年の東京五輪が終わっても、関西経済は成長を期待できる期間が続く。ただ、万博後はどうなるか分からない。万博開催までに浮かれず、どれだけ先を見据えて行動するかが大切になる。当社のようなメーカーは技術をさらに磨き、顧客に必要とされる付加価値の高いものづくりを続ける取り組みが欠かせない。

(聞き手は大阪経済部 斎藤毬子)

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