保育無償化、入園待ち長くなる?
(2019ニュース羅針盤)
2019年10月、幼稚園や保育所にかかる費用が無料になる。消費税増税による増収分の一部が財源で、女性の就労支援と少子化対策が狙いだ。女性がますます働きやすくなると期待がかかる一方、待機児童問題が悪化する懸念もある。

◆潜在需要は想定以上 定員拡大、焦る自治体
無料になるのは、幼稚園や保育所に通う3~5歳のすべての子供と、保育所に通う0~2歳の住民税非課税世帯の子供。上限はあるが、認可外施設なども対象だ。
待機児童の9割は0~2歳児。無償化の多くは3歳からだが、2歳児以下の待機児童が増える可能性がある。3歳で預けようとしても、2歳から持ち上がる子供が多くて入りにくいため、前倒しで動く人が増えるとみられている。

無償化後の動きを占う試みが、大阪府守口市で進んでいる。国に先駆け17年度から無償化に踏み切った。対象も0~5歳と広く、所得制限もない。
「無償化が背中を押してくれた」。市内の認定こども園「三郷幼稚園」に2人を通わせる園田由紀子さん(32)は振り返る。認定こども園は幼稚園と保育所の機能を兼ね備えた施設。専業主婦だったが、無償化に合わせて旅行会社に勤め始めた。「無料で利用できるので貯金もできる」と笑う。
同市では無償化前の1年で33人減った0~5歳の人口が、無償化後の1年で128人増えた。親世代となる20代は39人減から363人増だ。「政策効果に手応えを感じている」(こども部)という。
一方、16年4月に17人だった待機児童は、18年4月には48人に増えた。「無償化は女性の社会進出を促し、保育の潜在需要を掘り起こした」(西口寿治・こども政策課長)。潜在需要は想定以上だ。
待機児童解消に向け、市は受け皿整備を急ぐ。民間中心に増やしたが、課題は保育士の確保だ。
三郷幼稚園の津嶋恭太園長は「近隣の自治体間で保育士の争奪戦になり、財力のある自治体が有利になっている。何らかの対策が必要」と訴える。無償化が全国に広がれば、自治体間の競争はますます激化が予想される。
18年4月時点の待機児童数が全国トップの兵庫県明石市。16年度から第2子以降の保育料(0~5歳時)を所得制限なしで無償化したことが子育て世帯の流入につながり、待機児童が増加した。
同市は18年度の一般会計のうち、約20%を子供に関する予算として計上。受け入れ枠を2千人分増やして対応を急ぐ。
泉房穂・明石市長は「国内総生産(GDP)比でみた日本の幼児教育への公的投資は欧州の半分。中途半端な投資は中途半端な効果しか生まない」と指摘。「保育の質確保、受け皿整備、教育や医療など総合的な子育て支援が必要だ」と強調する。
先行事例からは、女性の就労刺激と待機児童の増加が見えてくる。大胆な対策がなければ、混乱だけが広がりかねない。
(嘉悦健太)
◆プロの読み 野村総合研究所上級コンサルタント 武田佳奈氏
受け皿を整備すれば経済効果は3兆円超

無償化について悲観はしていない。待機児童など現実的には様々な課題があると認識しているが、マクロで見たときのプラス効果を捉えるべきだ。
無償化で潜在的な保育需要が喚起されるというが、それはつまり、企業が潜在的な労働力を確保するということでもある。未就学児を持つ非就労の母親への調査では、働きたいと考える女性が6割もいた。圧倒的な労働力不足のなか、保育の受け皿確保は極めて有効な解決策になる。
待機児童問題は、保育の需要をどこまで見込むのか、という視点で語られることが多い。ただ、保護者のニーズにどこまで対応すべきかという線引きの議論は、もはや限界に来ている。
むしろ、女性就業率の目標達成に必要な受け皿はどれくらいかという視点で考えるべきだ。2023年時点の政府目標である女性就業率80%を達成するには、現在の保育の受け皿の整備計画では足りない。我々の試算では、さらに27.9万人分が必要だ。
受け皿を整備したくても、保育士が確保できないとの声を聞く。そこで資格を持ちながら働いていない潜在保育士を活用したい。我々の調査では、潜在保育士の6割は保育士として働きたいと考えている。試算では5.6万人にのぼり、これで16.9万人の保育の受け皿が整備可能だ。
彼らが求めているのは必ずしも高い報酬ではなく、柔軟な働き方だ。報酬も重要だが、短時間勤務などライフスタイルにあった働き方を求めている。それが結果的に保育士の処遇改善や質の確保にもつながる。一時的にマネジメントの負担になっても急がば回れだ。
企業の保育所にも期待したい。無償化で働きたい女性が出るのは人手不足の企業にはチャンスだ。経営戦略として保育の整備を進めるべきだ。従業員のためなら質を確保するモチベーションもあるはず。人材がいる住宅地に複数の企業と設置する手もある。国はそういう企業を支援すべきだ。
女性就業率80%が実現した場合、新規就労者46.1万人、最低で年間3.8兆円の経済効果が見込める。一方、追加の受け皿整備に必要なのは4千億円、運営費に年3千億円弱だ。
調査では、保育の受け皿が充足すればもう一人産みたいと考える母親が66%いた。ここから保育の受け皿が整備された場合に期待できる合計特殊出生率を試算すると1.78となり、国が掲げる1.8と同水準だ。
女性の就労で子育て世帯の収入は安定的に増え、少子化の一因でもある経済的不安も解消される。出生率1.8が実現すれば、少なくとも65年時点で人口1億人が維持できる。人口ピラミッドのゆがみも改善され、短期的な労働力不足の解消だけでなく、長期的な社会保障の担い手の確保にもつながるだろう。
両立阻む「母性神話」を壊せ
「安易な発言に大変傷ついた。私は母になれなかった」。東京都の小池百合子知事は18年11月、鳥取県の平井伸治知事が「母の慈愛の心を持って」と発言したことに不快感を示した。
両者の発言の意図は別にして、「母の慈愛」という言葉には、母は慈愛を持つべき存在という「母性神話」が見え隠れする。母親だから。何気ないひと言が、女性を縛り付ける。
幼児教育無償化によって、新たに働きたいと考える女性は増えるだろう。だが武田氏らの試算によると、18年4月時点でも、保育所に預けたいのに利用できなかった人が34万人強いた。保育の受け皿確保は急務だ。
同時に「家庭と仕事の両立は大変」という前提を変える必要がある。子育て期に女性の就業率が下がる「M字カーブ」は解消しつつあるが、復職する女性の多くは非正規雇用だ。家事や育児は女性が担うもの。そんな固定観念が両立を阻んでいる。
匿名ブログ「保育園落ちた日本死ね」が注目されてからもうすぐ3年。女性に過度な家事・育児負担を強いる社会風土は変わっていない。いかにして「母性神話」から脱却するか。例えば男性の育休取得を義務化するなど、大胆な施策が必要だろう。性別や世代を問わず柔軟に働ける企業の支援体制も必須だ。できることはまだまだある。
〔1月1日付日本経済新聞朝刊〕
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