2019年9月19日(木)

大賞に佐伯琴子氏「狂歌」 強烈な身体感覚で欲望追求
第10回日経小説大賞

カバーストーリー
2018/12/24 20:00
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第10回日経小説大賞(日本経済新聞社・日本経済新聞出版社共催)の最終選考会が行われ、大賞は佐伯琴子氏の「狂歌」に決まった。復讐(ふくしゅう)心と恋心の交錯を軸に、仮想通貨という現代的な題材をまじえた作品で、男女の欲望をあぶり出す力強さが高く評価された。

400字詰め原稿用紙で300枚から400枚程度の長編を対象とする第10回日経小説大賞には232編の応募があった。歴史小説、時代小説、経済小説、恋愛小説、ミステリーなどジャンルは多岐にわたり、応募者は40~60代が全体の7割を占めた。

第1次選考を通過した20編から最終候補となったのは5編。佐伯琴子「狂歌」、人口減少下の階級社会で幸福を模索する仲野芳恵「黄昏(たそがれ)色の服を着て」、独身男性エンジニアが周囲とのつながりを見つめ直す湊ナオ「グッドモーニング、エンジニアーズ!」、中国・唐の時代を舞台に政変と暗殺劇を華麗に描く山本貴之「長安花」、国政の改革を志す菅原道真の困苦と内面を丹念に記す天津佳之「梅花、未(いま)だ咲かず」だ。

最終選考は7日、東京都内で辻原登、高樹のぶ子、伊集院静の選考委員3氏がそろって行われた。5作品の内容や完成度について議論を重ねた結果、「狂歌」「黄昏色の服を着て」の2作に絞られ、最終的に「狂歌」への授賞で一致した。

受賞作は、母を殺された女性と、復讐相手の息子との関係を軸に、抑えがたい思いや欲に駆られた人間の凄(すご)みを描く。「強烈な身体感覚で欲望というものを追求している。何者かになるとしたらこの人」「男女の業欲をストレートに書いている。小説がはらんでいるものの力があり、仮想通貨の使い方も悪くない」といった評価が聞かれた。

〈あらすじ〉

福岡のフリーペーパーの編集長、寺嶋きり葉のもとに、1通の手紙が届く。差出人は広告のクライアントである料亭の社長、清倉龍臣。貼られた黄金色の百人一首の切手には、旅先で一夜をともにした男女の恋の歌がつづられていた。龍臣は歳も近く同郷だが、彼女だけが知る2人の間の秘密を想い、きり葉の心は激しく揺れる。1年後、龍臣が仮想通貨の交換会社をつくり、きり葉は社長を引き受ける。せつない恋情を胸に秘め、きり葉は順調に大金を稼いでいくが、ビジネスは危険な方向へ流される。金への欲望、男女の性愛への欲望、支配欲……尽きせぬ欲望への執着が人を変貌させる様を、ねっとりと濃密な文章で力強く描く。

■「狂歌」受賞に寄せて――佐伯琴子氏

受賞の報せを受けたのは、浜辺を歩いていたときでした。

さえき・ことこ 1976年大分県日田市生まれ。一橋大学卒業後、旅行会社に勤務。2008年、夫の転職を機に九州へ戻り、タウン誌の広告営業と制作に携わった後、フリーのライターとして活動。現在は福岡市在住

さえき・ことこ 1976年大分県日田市生まれ。一橋大学卒業後、旅行会社に勤務。2008年、夫の転職を機に九州へ戻り、タウン誌の広告営業と制作に携わった後、フリーのライターとして活動。現在は福岡市在住

よく行く浜辺です。小さな浜辺ですが、恋人たちもいれば貝を採る家族もいて、言い争いをする人々さえいます。笑っていたかと思えば哀しそうな顔になったり、激昂したりすることもあります。わたしは浜辺を歩きながら、そんな人々をいつも眺めてきました。

ここには善人も悪人もいません。レッテルを貼られた人間がいたとしても、それを貼ったのもまた、人間です。それぞれが違う価値観や理念をもっているだけなのでしょう。皆それぞれが、善の面も悪の面ももっています。美しい面も醜い面も。子供と遊ぶ若い夫婦も、犬と散歩している老人も、いくつもの面で彩られています。浜辺の主役は彼ら人間で、それぞれの善や悪、美や醜を、背後の波が映しだします。波は水鏡となって、ときに静かにときに激しく打ち寄せます。

受賞の電話を切ったあと、再び浜辺を見渡しました。わたしの頭の中にある浜辺です。ひっそりと創り続けてきた小さな小説の世界。ここに「佐伯琴子」という名前が付いたことへの喜びがこみ上げてきました。

今回は浜辺の一角で起きた「狂い」を描きました。誰もが自分はそうならないと思っていながら、実は誰もがもっている一面なのだと思います。恋や金に狂う、酒やギャンブルに狂う。程度の差はあれ、人間誰しも経験する、馴染み深いことに違いありません。

この浜辺を歩き続けます。背後にある波は、言葉です。これからも言葉の力を借りながら、浜辺に集う人間たちを描いていきます。

<選評>

■辻原登氏、読み方によっては納得も

辻原登氏

辻原登氏

授賞作「狂歌」について。佐伯さんの過去の最終候補作二篇(へん)もそうだったが、やはり今回も、私はどうしても良い読者にはなり得ないことを覚った。

しかし、強引すぎるストーリー展開も細部の露悪趣味も、これを"実は、実は……"と続く歌舞伎狂言(例えば「桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)」)のようなものとして読めば、それなりに納得のいく物語(狂言・狂歌)の本筋を外れていないのかも、と考え、授賞に賛成した。

何よりも秀逸な物語(レシ)として、私の一推しは、「黄昏色の服を着て」(タイトルはちょっとどうかと思うが)である。結構(けっこう)、文章力、ともに完璧と思える。登場人物たちを支える作者の思想も公平で、よく練られ、書き分けられている。テーマは明確だし、テーマを抽出して行くモチーフと細部の運び方も着実である。風俗嬢メイの悲しみは充分伝わった。

「グッドモーニング、エンジニアーズ!」に才気を感じた。ドンドン書けば、いつか晴れた日が来る。

■高樹のぶ子氏、激情の制御で「何者か」に

高樹のぶ子氏

高樹のぶ子氏

受賞作「狂歌」は欲望を真正面から書いている。受賞に至らなかった過去の候補作二篇(へん)を見ても、ここまで率直に剥(む)き出しの欲望を書く作家を私は知らない。欲望は叶わぬゆえに熱く激しい。ときに目を背けたくなる。文学から身体感覚が失われて久しいが、その意味でも受賞者は希有な存在だ。今はパッションに振り回されて見える作者だが、そのコントロールによっては「何者か」になる可能性がある。

「梅花、未だ咲かず」は丁寧に菅原道真の生涯を追い、良く調べられてもいて好印象を持ったが、政治劇に終始した感がある。二十数人の子供を持つ、人間的な面が見えて来なかったのが残念。「長安花」は中国史の中を生き抜いた男を描いた活劇で読ませる力がある。次作を待ちたい。「黄昏色の服を着て」は近未来小説で良く計算されているが、いま少しリアリティが欲しい。「グッドモーニング、エンジニアーズ!」は会話の才気は天性のもの。だが会話に依存しすぎている。

■伊集院静氏、人物像あざやかに見えた

伊集院静氏

伊集院静氏

最終候補に残った五作品はいずれも力作揃(ぞろ)いだった。本賞のレベルが上がったということだろう。佐伯琴子さんの『狂歌』を推した。佐伯さんの作品を読むのは三度目である。九州を舞台に男女の性、業欲を一貫して書いてこられたが、前作までの作品には構成、人物像に曖昧なものが見えて、推しきれなかったが今回は主人公の業がすんなりと入って来て、人物像があざやかに見えて来た。あきらかに腕が上がっている。構成にも丁寧さが出て来た。挿入の芸妓(げいこ)節が印象的だった。土着性の表現はこういう手法もあるのだと学ばせていただいた。受賞にかなう作品だ。この数年作品に対峙されたことを誉(ほ)めたい。仲野芳恵さんの『黄昏色の服を着て』も興味深く読んだ.この人は力量はこのタイプの作品かもしれない。湊ナオさんの『グッドモーニング、エンジニアーズ!』は文章の軽妙さと独特のユーモアに才気を感じた。今後がおおいに楽しみな作家だ。皆受賞作とは僅差であった。

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