2019年7月24日(水)

首相と税調会長のはざま

風見鶏
コラム(経済・政治)
2018/12/16 2:00
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1997年、橋本龍太郎首相が行財政改革を進めているときのことだ。橋本政権で進める改革にアドバイスをもらうため、官僚が竹下登元首相を訪ねると「中曽根財政、竹下税制という言葉があったんだ」とにこやかに語ったという。

税制抜本改革法案について協議する竹下首相と山中自民税調会長(1988年)

竹下氏は大平正芳政権、その後の中曽根康弘政権で蔵相を務めている。この時、話を聞いた元官僚は「中曽根政権の蔵相時代を含め『あの頃の税財政はすべて自分が仕切った』という自負を感じた」と振り返る。

「竹下税制」と誇ったのは89年に首相として消費税を導入したからだ。竹下氏はよく「79年に財政再建の国会決議をして10年かけて89年の消費税に持っていった」と口にした。

79年には大平首相が導入を目指した一般消費税が頓挫。すると与野党で「財政再建は一般消費税(仮称)によらず、まず行政改革、歳出合理化などを推進」と決議した。当時蔵相だった竹下氏が幅広い与野党人脈を生かし、決議に持ち込んだ。

決議は当初「消費税を導入させないため」とみられたが、その後の中曽根政権は行革と歳出改革を実施した。竹下氏が「中曽根財政」も高く評価したのは79年決議で設定したハードルを、竹下氏が蔵相を務めた中曽根政権でクリアして消費税を導入したからだ。

10年計画で「竹下税制」を完成させた竹下氏だが自民党で「税の権威」とされる税制調査会長には就いていない。歴代首相にも税調会長経験者はいない。

税調会長OBの柳沢伯夫氏はある税調会長が首相に呼ばれた際に「ゴマスリみたいに首相官邸に行くのは税調の伝統に反しますよ」と苦言を呈したという。その時は調整の末、首相が党本部に来て総裁室で会う体裁をとった。小泉純一郎首相も「税調のドン」と呼ばれた山中貞則氏に会うため党本部に足を運んだ。

首相と税調会長が距離をとったのはなぜか。柳沢氏に尋ねると「選挙に近いところが税をやると、ゆがむことがおびただしい」と説く。「税で票を買うことはできない。人気のある増税なんてない」とも話す。

選挙に最も近いのは首相だ。有権者の意向には敏感で政権維持のために増税は避けたくなる。一方、税のプロを自任する税調は望ましい税体系を追求する。税調会長なら選挙を意識する官邸と距離を置き、超然と不人気政策を追い求めるべきだ、という文化もある。

首相を選ぶ与党議員にとって重要なのは足元の選挙だ。かたくなに不人気政策を主張する役回りを求められる税調会長を「選挙の顔」である首相に推したくはない――。税調会長出身の首相がいない背景はこういうところだろうか。

税調は毎年の税制改正で細かな制度まで体系的に定め、絶大な決定権を握ってきた。緻密な税理論と豊富な知識をもとに、各業界と、その意向を代弁する族議員の間で利害調整をしてきたのは確かだ。ただ力が及ぶのは党内までだ。

政権の命運を左右する国民全体を相手にするようなテーマは税調だけでは扱えない。大平氏の一般消費税も中曽根氏の売上税も、実現しなかったとはいえ、政治課題になったのは首相が掲げたからだ。国会で多数を握る与党が選んだ首相という基盤があるからこそ、国民全体の利害に関わる増税を問うことができる。

竹下氏は79年の国会決議について「与野党を問わず大枠をかける意味で必要だった」と語っていた。決議は全会一致。国民全体の支持を得る形をつくり、増税につなげた。同じ増税という目標でも首相と税調会長の目指し方には違いがある。(政治部次長 佐藤理)

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