2019年4月20日(土)

道灌山(東京・荒川) 眺望愛され続けた行楽地

コラム(社会)
2018/12/8 13:19
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JR西日暮里駅の西側に切り立った大きな崖がある。それが昔の道灌山(どうかんやま)の一部だ。崖の上には開成学園のグラウンドなどが広がる。室町時代の武将、太田道灌(1432~86)の出城があり、そう名付けられたと言われる。

JR西日暮里駅前の切り立った崖は道灌山の一部(東京都荒川区)

JR西日暮里駅前の切り立った崖は道灌山の一部(東京都荒川区)

道灌は関東地方に割拠した上杉氏の一つである扇谷上杉家の家臣で、1457年に江戸城を築いたことで有名だ。他家の内紛を鎮圧したが、中傷により主君に謀殺された悲運の名将とされる。兵法に長じ和漢の学や詩歌にも優れていたという。

筑波や日光の山々が望める道灌山は江戸時代、人気行楽地だった。月を見ながら鈴虫や松虫などの鳴き声を楽しむ「虫聴き」の名所としても知られた。その風流な光景は多くの絵師たちに描かれている。江戸時代を代表する地誌「江戸名所図会」には名作「東海道五十三次」を残した浮世絵師、歌川広重(1797~1858年)が描いた「道灌山虫聞之図」という錦絵がある。虫かごを手にした子供が女性2人に連れられてうれしそうに坂道を上り、丘の上では男性3人が月を眺めながら酒を酌み交わしている。

明治時代になっても道灌山は文豪たちに愛された。正岡子規(1867~1902)もよく訪れ「山も無き 武蔵野の原を ながめけり 車立てたる 道灌山の上」と詠んだ和歌が残っている。

歴史を遡れば道灌山などの高台は荒川区の大半が海面下にあったころは陸地の先端にあたり、古代日本人が暮らした。戦後発掘された遺跡は「道灌山遺跡」と呼ばれ、縄文時代や弥生時代の竪穴式住居、平安時代の住居跡などが見つかっている。

荒川区立荒川ふるさと文化館の野尻かおる館長は「道灌山は太古より住みやすい台地、眺望の良い台地として注目され、1916年(大正5年)には渡辺治右衛門が開発した近代的な田園都市である日暮里渡辺町が出現し、小説家の野上弥生子や久保田万太郎ら芸術家が住む街となりました。谷中、日暮里の寺町から足を延ばして、先人の足跡、生活のいぶきを訪ねてみてはいかがでしょうか」と話している。

開成学園 37年連続で東京大合格者数1位を誇る開成学園の発祥の地は千代田区神田淡路町。1871年(明治4年)に幕末の進歩的知識人だった加賀藩士の佐野鼎が米欧視察後に創立し「共立学校」と名付けた。佐野の死後、後に日銀総裁や蔵相、首相を歴任した高橋是清が初代校長に就任した。正岡子規も共立学校の出身者だ。1895年に校名を「開成尋常中学校」に変更した。由来は中国五経の易経の「開物成務」。1923年(大正12年)の関東大震災で校舎が焼失したため、24年に現在の場所に移転した。

(仲村宗則)

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