海外で百万円超、「関東最古」の銘酒 茨城・須藤本家
ぶらり日本酒蔵めぐり(7)

山田錦、純米、無濾(ろ)過、生原酒、熟成酒、輸出--。消費量が減少に転じてからも、日本酒は国内外で新たな愛好者を呼び込んできた。そうした動きに先駆けて挑戦を繰り返してきた蔵がある。須藤本家(茨城県笠間市)だ。炭素濾過と加熱殺菌をしない「無濾過生原酒」で長期熟成酒を作り始めたのが1973年、輸出に乗り出したのは95年だ。1143年創業と伝えられる関東最古の蔵は進取の気性にあふれている。
2018年10月、須藤本家はシンガポール高島屋の催事で、純米大吟醸「花薫光(かくんこう)1993」(720ミリリットル)の販売予約を受け付けた。値段は3万8000シンガポールドル(約314万円)。仏高級ワインも顔負けの設定だ。醸造後25年間、瓶(びん)内で熟成し続けた逸品で、著名なワイン評論家、ロバート・パーカー氏が評価したことで脚光を浴びた。

かつて米国で1万3000ドル(約147万円)の値がついたこともある。花薫光は2016年の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)の夕食の場に供されたことでも知られる。「それだけの値がつけられるのは、品質と価値が認められた証だと思っています」。当代当主の須藤源右衛門さんは静かに語る。
熟成とは、もちろん酸化や劣化とは違う。「ただ置いておくだけでは褐色に色づき、ひねたような味と香りになっていきます。一般的な古酒のイメージですね。でも、醸造過程の最初から熟成を前提にし、しっかり温度管理して貯蔵すると、嫌みのない熟成酒になります」。酵素の働きで、長期間かけてうま味を引き出す。
鍵を握るのが貯蔵温度だ。設定温度を尋ねると、「それは言えません」。秘中の秘らしい。「0.1度違うだけで、結果は全く違ってしまいます。それだけデリケートなものです」。1973年の醸造分から毎年、貯蔵を続けている。加熱殺菌していない生酒を保存するのだから神経を使うはず。「一年中、冷蔵していますから電気代が大変です。毎月、車が買えるくらい」と笑う。

「今年で45年分の『垂直(ワインで同じ銘柄の、異なるビンテージを飲み比べて楽しむ趣向)』ができます。これから貯蔵を重ねていって、100年分の垂直ができたらすごいでしょうね」。900年近い歴史を背負う蔵の当主は悠久の時の流れを見据えて酒造りに向き合っている。
無濾過生原酒へのこだわりは46年目に突入する。原点は16歳のときの体験だった。東京で下宿していて、あるとき、親戚の近所に須藤本家の酒を携えて挨拶に行った。そこで意外な言葉を浴びせられたという。「うちはね、日本酒は飲めないんです。(ウイスキーの)水割りなんですよ」

時代は高度経済成長の末期。折しも、「和食に水割り」を薦めるウイスキーメーカーのキャンペーンがかまびすしかった。「ショックでした。刺激の強いウイスキーを和食に合わせる宣伝も、それを受け入れる意識も信じられませんでした。このままでは日本酒はダメになる、と思いました」
高校時代から仕込みに携わっていた。高校を卒業して最初の仕込みで、一念発起した。火入れ(加熱殺菌)をしない、炭素濾過もしない酒造りに挑んだ。「無濾過生原酒という看板、イメージを追い求めたのではありません。理想の味わいを考え抜いてたどり着いた造り方だったのです」
蔵の中で、逆風は激しかった。当時の杜氏は「(品質の)責任が持てません」と猛反対した。社長だった父親は「いいかげんにしろ! どこもそんなことやってないだろ!」と、18歳の息子を叱り飛ばした。「火入れしていても『火落ち乳酸菌』といった菌が繁殖してダメになることもありましたから」。それでもあきらめなかった。菌のコントロールには自信があったという。
火入れしないと細菌の繁殖を招く恐れがある。定温物流などまるでない時代。取引先には「アイスクリーム屋さんの小型の冷蔵庫を中古で買ってきて車に積んで、それに入れて納品していました」。黎明(れいめい)期ならではの苦労があった。

無濾過にこだわる理由について源右衛門さんは「味のバランスがよくなるから」だと説明する。濾過する目的は主に雑味を取り除くことだが、「同時によいところも欠けてしまって自然な味わいにならない」という。さらに「造ってから、悪い部分は濾過で除けばいい、ではなく、もっと精緻な造り込みをしないとダメ」とも。
香りも味わいも、自然であることを大事にする。だから醸造過程でアルコールを添加せず、純米酒にこだわる。純米の好き嫌いは分かれるところだが、源右衛門さんは「添加用のアルコールの味が好きではありません。人工的な感じがして。醸造過程で生まれるアルコール分と、同じ化学組成でも、味はあいいれないと感じています」と話す。
原料米はいまは全量、地元、笠間市産コシヒカリを使っている。しかし、この原料米に行き着くまで、曲折があった。「灘五郷(兵庫県の酒造どころ)の蔵以外ではいち早く、1975年前後には兵庫県の山田錦を使いました」。「山田錦使用」を宣伝文句にうたう蔵が増えてくる時期より前のことだ。
山田錦のブランド力が高まるのに反して、源右衛門さんの心中で山田錦への違和感が芽生え、大きくなっていった。「ちょっと重い、とか、理想の酒とずれがある、とか。ずっとその理由を考えました」。山田錦ブランドに頼って売るつもりは毛頭なかった。「ただただ、おいしい酒を造りたかった」

もともと高精白(コメの表面を削る比率が高い)の方がおいしくなると確信していた。ところが、山田錦は心白(雑味の少ない、コメの中心部分)が大きい。「心白に食い込むまで削って、心白だけで造ってもいいんですが、それだとなぜか、理想の酒にならないんです」。そんな事情も、違和感を増幅した。
考えた揚げ句、源右衛門さんが導き出した答は水と風土だった。須藤本家の仕込み水は外、内、合わせて3本の井戸からくみ上げている。深さは20メートルと深くはない。樹齢900年のケヤキをはじめ、先祖代々が育んできた古木が土壌と水質に影響を与え続けている。須藤家の家訓は「酒・米・土・水・木」。5つの要素が宇宙観を形成する。敷地内の植生はじめ自然のすべてが酒造りの礎をなしている。
「兵庫県産の山田錦が育てられた水と、うちの仕込み水の組成は当然違います。そこに違和感の正体が隠されているのではないかと思うようになりました」。同じ水と風土からできたコメで酒を造りたい。それも心白が小さいコシヒカリを高精白で。「原料米は亀の尾系コシヒカリといって、コシヒカリに酒造好適米を掛け合わせた品種です」

須藤本家の商品ラインアップは純米大吟醸のみ、11種類。「十数年前から、純米大吟醸に絞りました。日本酒離れ、日本酒嫌いを少しでも減らしたい。甘さ、重さ、喉ごしなど、飲んだときの違和感をなくしたい。そのためには最低でも50%はコメを削りたかった」。大吟醸を名乗るために精米歩合を50%以下にするのではなく、造りたい酒の仕様が大吟醸にかなっていた、と力説する。
最も高精白の高級品「花薫光」などは精米歩合27%。雑味の要素が拭い去られ、無濾過なのに自然なきれいさを体現した口当たりになっている。日常飲めるライン、例えば「郷の誉」には720ミリリットル入り1600円台の商品もある。純米大吟醸を身近に感じさせるのも、須藤本家の使命だと考えているようだ。「純米」の押しつけがましさがないのはなぜだろう、と、飲んでみて、思う。
源右衛門さんが初めて輸出したのは23年前。まだ地酒の蔵元が輸出を考える時代ではなかった。きっかけはまたも、危機感だった。サンフランシスコの日本食レストランで、劣悪な保存状態の、酸化した日本酒に遭遇した。隣席の地元住民は、この酒を飲むと頭が痛くなるんだ、と顔をしかめた。日本酒の名誉が傷つけられたようで悔しかった。
須藤本家の体力ではとても為替リスクに耐えられなかった。輸出商品も生酒だった。商社に円建て取引を頼み込んだり輸送時の温度管理に腐心したり、手探りの商流作りが続いた。それから15年あまり、輸出先は50カ国を数え、輸出額は売上高の20%を占めるまでに伸びた。東日本大震災に見舞われるまでは。
2011年4月。「いち早く、水と酒の放射能解析をしました。もし汚染が確認されたらやめざるを得ないと覚悟しました」。さいわい、汚染されていなかった。だが輸出は全面的にストップした。「ようやく、だいぶん戻りました。それでも輸出先は英国や豪州など8カ国、売上高の7%程度でしょうか」。負った傷は癒えてはいない。
源右衛門さんは水戸市内で文化講座の講師を務めている。これまで80回、日本酒とチーズのマリアージュなど、ユニークな切り口が好評だそうだ。「酒と器の相性はとても重要です。例えばシャンパングラスなら、膨らみのあるタイプは吟醸香や口の中での温度変化が楽しめますし、口径が細く直線的なグラスは喉に酒を直接運べます。かん酒を飲むなら一口ずつ飲み干せる、小さな猪口(ちょこ)が理想ですね」

(アリシス 長田正)
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