2019年4月22日(月)

学都に咲いたモダニズム 栗原邸(もっと関西)
時の回廊

もっと関西
コラム(地域)
2018/11/28 11:30
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木々が色づく琵琶湖疏水沿いに立つ洋館、栗原邸(旧鶴巻邸、京都市山科区)は日本のモダニズム建築初期の作品の一つだ。完成から90年近くたった今もコンクリートブロックむき出しの外壁が厳かな存在感を放つ。学術の都である京都の風土が、機能を追求する大胆な実験を可能にした。

コンクリートブロックむき出しの外壁が厳かな存在感を放つ

コンクリートブロックむき出しの外壁が厳かな存在感を放つ

■不要な装飾省く

栗原邸は京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)の校長を務めた染色家、鶴巻鶴一(つるまきつるいち)の邸宅として1929(昭和4)年に建設された。設計者は同校教授の本野精吾(もとのせいご)だ。鉄筋コンクリート造3階建てで、延べ床面積394平方メートル。

独特の外壁は「鎮(ちん)式ブロック」と呼ばれるL字型のブロックを組み合わせてつくられた。長辺353ミリ、短辺と高さ173ミリ、厚さ30ミリで規格化され、瓦のように重ねて運べる。手で型枠のように組み上げ、角の内部を鉄筋コンクリートで固める。23(大正12)年の関東大震災では、このブロック造りによる建物が倒壊を免れて注目された。

本野は栗原邸や自邸に鎮式ブロックを採用し、初めて構造体であるブロックをそのまま外壁として見せた。近代建築史が専門の京都工繊大の笠原一人助教は「ドイツ留学でモダニズム建築に触れた経験から、本野はブロックを覆い隠す仕上げを不要な装飾と考えたのだろう」と指摘する。

邸内には設計者の本野精吾が自らデザインした家具がそのまま残る

邸内には設計者の本野精吾が自らデザインした家具がそのまま残る

モダニズム建築は欧州で工業化や市民社会の進展と共に盛んになり、20年代に日本に伝わった。石造りに比べて設計の自由度が増した鉄筋コンクリート造りを使って、従来の装飾パターンに従った様式主義を離れた。合理性や機能性を追求した結果、装飾は不要なものとして省かれていった。

本野が京都を中心に装飾を排除した実験的な建築に挑戦したのが20年代。明治以降に大学が集積して学都として発展した京都には、探究心を追求できる空気があった。一方、大阪では30年代に鉄筋コンクリートの外壁にタイルを貼るなど装飾を取り入れた様式建築が建てられていく。

笠原助教は「商都だった大阪では人々に受け入れられることが求められた。2つの都市の性格が建築に対照的な影響を与えた」と説明する。その後、日本のモダニズム建築の抽象化は高度成長期の50年代にピークに達し、よりシンプルな箱に近づいていく。

■保存・活用に課題

栗原邸は2007年に近代建築の保存に取り組む国際組織の日本支部「DOCOMOMO Japan」が日本を代表するモダニズム建築の一つに選定。14年に国の登録有形文化財となった。ただ、個人所有の近代建築は保存と活用が課題となっている。

栗原邸は11年度から京都工繊大大学院の教育プログラムの一環として、学生らが屋上防水や室内のしっくいなどの修復を施した。現在の所有者は高齢と相続税負担を理由に売却を希望している。笠原助教ら研究者や建築士、弁護士らによる一般社団法人、住宅遺産トラスト関西が支援。建物の価値を理解して継承するオーナーを探すため、17年と18年に一般公開した。19年も実施する方向だ。

京都市は歴史的建造物などの補修費を助成する「京都を彩る建物や庭園」に栗原邸を認定した。「価値を顕彰することで市民ぐるみで残す機運を高め、様々な活用を探って継承したい」(文化財保護課)。過去から託された遺産を未来につなぐ知恵が求められる。

文 大阪地方部 木下修臣

写真 目良友樹

《交通》京都市営地下鉄の御陵(みささぎ)駅から徒歩10分。
《本野精吾建築》本野の建築は栗原邸のほか、京都市内に1924年完成の本野自邸(北区)、14年の京都市考古資料館(旧・西陣織会館、上京区)、30年の京都工芸繊維大学3号館(旧・京都高等工芸学校本館、左京区)の4件が現存する。

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