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四ツ橋 かつて「浪速一の奇観」(もっと関西)

とことんサーチ

大阪市西区の地名、四ツ橋。大阪市に赴任して間もない千葉県出身の私にとって、最も印象に残った大阪の地名だ。なぜなら和菓子の「八ツ橋」のような名前だから。おいしそうだと親しみをもったが意外に厄介だ。まず読み方は「ヨツハシ」ではなく「ヨツバシ」。そして「四つ橋筋」「四つ橋線」に対し「四ツ橋交差点」「四ツ橋駅」と、「つ」と「ツ」の表記が不統一だ。そもそもなぜ橋がないのに四ツ橋なのか。

河川の交差点 橋ぐるり

四ツ橋は御堂筋の西側を南北に走る四つ橋筋や阪神高速1号環状線と、心斎橋周辺を東西に走る長堀通が交わる。物の本によると地名の由来は文字通り、4つの橋だ。かつてここに西横堀川と長堀川の河川が交差しており、カタカナのロの字形の横断歩道のように4つの橋が架かっていた。

なぜ川が交差していたのか。川と橋はどこへ消えたのか。手がかりを求めて訪れたのは大阪歴史博物館(大阪市)。大沢研一学芸課長は「川ができたのは江戸時代の都市開発のためだ」と解説する。

豊臣秀吉が造った大坂の町は上町や天満など固い地盤を持つ東部が中心だった一方、南部や西部は水はけが悪く人が住みづらかった。徳川幕府は都市化を進めようと人工の川「堀川」を引くことを奨励した。掘った土で土地を造成し、堀川は排水用の水路にもなった。西横堀川と長堀川も1620年前後につくられ、河川の交差地点が誕生、その上に橋が架けられた。

4つの橋は北側が「上繋橋(かみつなぎばし)」、南側が「下繋橋(しもつなぎばし)」、東側が「炭屋橋」、西側が「吉野屋橋」とそれぞれ言った。周辺には銅の製錬に使う炭の販売店も軒を連ね、炭屋橋の由来になった。

江戸時代の大坂にはおよそ160個の橋が架かっていたとされるが、ロの字型の4つの橋は四ツ橋だけ。江戸時代の観光ガイドブック『摂津名所図会』では、四ツ橋を「浪速一奇観の勝地」といい、観光名所として紹介している。

自動車普及で姿消す

明治に入ると四ツ橋では鉄道も交差した。1908年に市電の主要な2路線の南北線と東西線が橋の近くで交わった。交差した線路が東西南北どちらにもまがれるよう「ダイヤモンド・クロッシング」という分岐器が置かれた。各地の地名の由来をまとめた『角川日本地名大辞典』は「この交差点が珍しがられ、多数の見物客があったという」と記している。

ちなみに道路の「四つ橋」と、駅名「四ツ橋駅」の「つ」と「ツ」の違いは、道路を管理する市の当時の土木局と、鉄道を管理する電気局の届け出の違いから生じたとされる。

にぎわった四ツ橋だが、転機は戦後の高度経済成長期だ。自動車の普及に伴い船で移動する人が減り、ダイヤモンド・クロッシングも姿を消した。工業化で川の水質汚染も深刻化し、大阪の堀川の多くは埋め立てられ、4つの橋も70年までに全て撤去された。

現在の四ツ橋交差点は雑居ビルなどに囲まれており、特に目立つものはない。ただ周辺にはおしゃれな服屋やカフェが集まり、その代表格がオレンジストリートだ。ここにインテリア店を構える大和家具(大阪市)の宮地慶和専務は「地域がカップル向けのイベントを開くなどして、若者を呼び込んでいる」と話す。

川や鉄道というインフラから、周辺のおしゃれな街に主役が変化した四ツ橋。ややこしい名前がかつての交通の歴史を刻んでいるが、昔から人々をひき付ける場所柄は脈々と受け継がれている。やはり不思議な何かがあるのだろう。

(大阪経済部 梅国典)

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