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NBAチアリーダー 平田恵衣「一歩踏み出して」(下)

2018/11/20 15:05
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平田がチアダンスを始めたのは大学3年からと遅い。中学生の頃、米国チアリーダーのオーディションを取り上げたドキュメント番組を見て以来、「憧れの世界としてずっと頭の片隅にあった」ものの、幼少期から習っていたのはバイオリンとクラシックバレエ。「引っ込み思案でおとなしい子供だった」自分には遠い世界と思っていた。

失敗怖くて動けぬ自分と決別

一念発起したのは、就活が始まろうとしていた頃だ。「このまま仕事に就いたら引き返せない。本当にやり残したことはないか」と自問するなかで、チア挑戦を決意する。大げさに言えば「失敗することが怖くて、自分の意思で動けるものを見つけられない人生だった」というそれまでの自分への決別宣言だった。それでも「引かれると思って」両親には言えなかった。

NBA挑戦を通じて「チャレンジする気持ちを伝えたい」=Yoko.B提供

NBA挑戦を通じて「チャレンジする気持ちを伝えたい」=Yoko.B提供

地元千葉のプロ野球ロッテのチアリーダーに見事合格。球場に程近い企業に就職し、会社と球団に掛け合って週末と祝日だけ踊らせてもらうようにした。「ファンが温かくて、家族のような雰囲気が大好きでした。サンダーもどこか似ている部分を感じています」

ロッテで3年踊った後はアメリカンフットボールのIBM、Jリーグ千葉、東京ガールズ(独立系チアグループ)とキャリアを重ね、2012年に渡米。チアリーダーにとっても最高峰の舞台といえる米プロスポーツにたどり着いた。

NBAで2シーズン活動した後、「やりきった」と一度は引退する。30歳になり、帰国後は日本スポーツ仲裁機構で働いてきた。まさか復帰して再挑戦するとは思わなかった。心変わりは子供たちとの交流がきっかけだった。

日本サッカー協会の社会貢献活動「こころのプロジェクト」の講師として小学校で自身の人生を語ったとき、「もう1回挑戦しないの?」「踊っている姿を見たい」と口々に言われ、気持ちに火が付いた。

子供からの言葉というのが大きかったという。「私自身、昔は夢をかなえるなんて無理と諦めているような子供だった。だからこそ、失敗してもいいから一歩踏み出してみて、とメッセージを伝えるのが夢を実現させた自分の役目じゃないかと思ったんです」

開幕で渡米する前の10月初旬、小学校を訪問してNBA復帰を報告した。「子供たちからも夢や目標に向かって行動している話を聞いて、私もパワーをもらいました」。全力のパフォーマンスで見る人をインスパイアすることこそチアリーダーの本分。そんな自負を胸に、今日もコートに飛び出していく。=敬称略

(山口大介)

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