滋賀の寺跡に法隆寺瓦 蘇我氏勝利で勢力下に

2018/11/2 9:27
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奈良県斑鳩町にある世界遺産・法隆寺と同じ文様の瓦(7世紀後半)が滋賀県栗東市の蜂屋遺跡の寺跡で見つかり、滋賀県文化財保護協会が1日、発表した。法隆寺と同じ木型で作られた「忍冬文単弁蓮華文軒丸瓦」が奈良以外で見つかるのは初めてで、法隆寺との密接な関係がうかがえるという。瓦は寺の西端とみられる溝から大量に出土した。

滋賀県栗東市の蜂屋遺跡の寺跡で見つかった「忍冬文単弁蓮華文軒丸瓦」(滋賀県文化財保護協会提供、左)と法隆寺のもの(同寺所蔵・奈良文化財研究所提供)=共同

遺跡付近は古代には栗太郡物部郷と呼ばれ、飛鳥時代に豪族物部氏の領地だった。仏教受け入れを巡る丁未の乱(587年)で、聖徳太子が味方した蘇我馬子が排仏派の物部守屋を滅ぼして以降は、法隆寺の荘園や倉庫が設けられたことが分かっている。

瓦は遺物用コンテナで200箱分も出土した。このうち数点の忍冬文瓦を確認。聖徳太子が建てた法隆寺や中宮寺の瓦と文様や細かい傷痕が同じで、同一の木型で作られたと分かった。

屋根に取り付ける鴟尾(しび)とみられる破片もあった。軒瓦のほとんどは法隆寺式軒瓦で、滋賀県内の他の寺跡でも見つかっていたが、いずれも数点程度だった。

溝跡は4本あり、長さは1本が10メートル以上、3本が24メートル以上、深さ約0.2~0.4メートル。溝と溝の間に築地塀があったと推測される。

塀の外側では掘っ立て柱建物跡が複数見つかり、寺の関連施設だった可能性がある。

滋賀大の小笠原好彦名誉教授(考古学)は「寺を造った氏族は法隆寺と強いつながりを持ち、伽藍(がらん)配置も法隆寺式だったかもしれない」としている。

付近は手原廃寺や寺院跡とみられる下鈎東遺跡などがあり、古代寺院の密集地だったという。

現地説明会は3日午後1時半から。〔共同〕

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