2019年5月22日(水)

師範の卵、柔らかく包む 奈良女子大記念館(もっと関西)
時の回廊

関西タイムライン
コラム(地域)
2018/10/31 11:30
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近代建築の多くは一度は消滅の危機をくぐり抜けてきている。老朽化して解体・新築の動きが起きると保存を求める声が上がり、残ってきた。1909年(明治42年)に完成した奈良市の奈良女子大記念館もそうした建物の一つだ。

奈良女子高等師範学校の本館として建てられ、戦後、新制大学になってからも1階は事務室、2階は講堂として使われ続けた。だが、やがて手狭になり、新築の要望が出始める。

重要文化財に指定されている奈良女子大学の記念館(奈良市)

重要文化財に指定されている奈良女子大学の記念館(奈良市)

「取り壊した方がいいという意見に対し、反対の声が数人の教員らから上がったようだ。同窓会が保存に傾いたことが大きかった」。上野邦一奈良女子大名誉教授(建築史)は語る。

結局、キャンパスの別の場所に本部管理棟(完成80年)、講堂(同83年)が新築され、建物は「記念館」の名称で残ることに。94年に改修工事が行われ、同年末、近くの守衛室、正門とともに国の重要文化財に指定された。阪神大震災が起きる直前のことだった。

■北欧と和風融合

記念館は木造2階建て。柱や梁(はり)の木を外部に出し装飾効果を出す構造はハーフティンバーと呼ばれる北ヨーロッパに多い建築様式だ。白いしっくいの壁と青磁のような色合いに塗装された木材とのコントラストが美しく、レトロな雰囲気を醸し出す。

屋根には中央に頂塔(ランタン)と呼ばれる部分、6カ所に明かり取りの出窓が設けられ、外観は全体が洋風に見える。ただ、屋根は和瓦で、正面から左側に回った2階南側の窓には時間を知らせるために使われた鐘が今もつるされている。横から見ると和風の建物のようにも感じるのだ。

「奈良の明治建築には本格的な西洋建築は少なく、どこか和のテイストを残した和洋折衷の建物が多い。寺社が多い地域ゆえに、古い歴史を大切にしたのかもしれない」と上野さん。

記念館を設計したのは明治期に京都帝国大学など多くの大学建物を手掛けた山本治兵衛という文部省の技師だった。他の大学に比べて装飾は柔らかく優しい趣のデザインで女子学校への配慮がうかがえるという。

建物内部では2階の講堂が建設当時の風情を今に伝えている。柱がなく、中心部が一段高くなった天井には大きなシャンデリアが据えられている。

■残された奉安殿

戦前・戦中に天皇、皇后の写真を掲げた奉安所

戦前・戦中に天皇、皇后の写真を掲げた奉安所

講堂正面には縦横3メートル50センチほどの立派な木製構造物が取り付けられている。戦前・戦中に天皇、皇后の写真(御真影)を掲げた奉安所と呼ばれる掲示施設である。正門近くには御真影と教育勅語を保管していた奉安殿の建物も残る。天皇誕生日など国家の祝日には、奉安殿から講堂の奉安所に運ばれて掲げられた御真影に向かって全員が最敬礼し、校長が教育勅語を奉読する式典が開かれていた。

奉安殿は全国の学校にあったが、戦後は取り壊され、ほとんど現存していない。奈良女子大では教員が遺伝研究用のショウジョウバエの飼育室として使う許可をGHQから得たため残ったと伝わる。奉安所が残った理由は定かではない。

関西などの近代建築の調査研究をしてきた明治建築研究会の柴田正己代表は「戦後の学校にとっては、どちらかといえば消したい教育の歴史に関連した建物なので次々に壊されたのではないか。奉安殿、奉安所がなくなれば、その歴史も忘れ去られてしまう。貴重な遺産としてきちんと保存していってほしい」と語る。

文 編集委員 堀田昇吾

写真 大岡敦

交通・ガイド》奈良女子大は近鉄奈良駅から徒歩約5分。記念館の内部は春と秋に一週間程度一般公開される。今秋の公開は10月30日~11月5日で、創立百十周年記念「展示でたどる奈良女子大学の歴史」を開催中。普段は閉じられている講堂の奉安所の扉も開かれており、菊の紋章が入った装飾布地を見ることができる。正門近くの奉安殿はいつでも見学できる。

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