中曽根元首相の101年 映像と写真で振り返る

2019/11/29 13:12
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中曽根康弘元首相が死去した。101歳だった。「戦後政治の総決算」を掲げ、残した足跡は、そのまま戦後政治史と重なる。

1918年生まれ

1949年11月撮影

1949年11月撮影

1918年、群馬県で生まれた。内務省に入省し、海軍の主計中尉としてフィリピンなどに出征した。47年、新憲法のもとで初めての衆院選で当選。自主憲法制定を唱えて「青年将校」と呼ばれた。

1959年 科学技術庁長官として初入閣

暇を見つけて自宅で絵筆を握る中曽根康弘・科学技術庁長官。奥は蔦子夫人(1959年6月)

暇を見つけて自宅で絵筆を握る中曽根康弘・科学技術庁長官。奥は蔦子夫人(1959年6月)

岸信介内閣で科学技術庁長官として初入閣した。その後、運輸相、防衛庁長官、通産相、自民党幹事長などを歴任。首相を目指し、時の風の流れに応じて主張を変える姿勢は「風見鶏」と言われた。

1982年 首相に就任

1982年、64歳で首相に就いた。「戦後政治の総決算」を掲げ、国鉄、電電公社、専売公社の民営化を進めた。ブレーンを活用し「大統領的首相」と呼ばれる手法を取った。官邸主導の始まりだった。

1983年 ロン・ヤス、別荘で

1983年11月、奥多摩にある日の出山荘にレーガン米大統領夫妻を招待した。レーガン氏とは「ロン・ヤス」と呼ばれる信頼関係を築いた。米ソ冷戦のただ中で緊密な日米安全保障体制を印象づけた。

1985年 靖国神社を公式参拝

1985年8月15日、靖国神社を参拝した。戦後の首相として初めての公式参拝だった。中国や韓国から抗議を受け、今に続く外交問題としての靖国問題の起源となった。

1986年 東京サミットのホスト役

1986年、東京で開いた主要国首脳会議(サミット)でホスト役を務め、日本の国際的な地位を押し上げた。米国との経済摩擦に悩んだものの、外交面では多くの成果をあげた。

1987年 中曽根裁定

竹下新総裁(左から3人目)を決め握手する(左から)安倍、中曽根、宮沢の各氏(1987年10月、東京・日比谷公会堂)

竹下新総裁(左から3人目)を決め握手する(左から)安倍、中曽根、宮沢の各氏(1987年10月、東京・日比谷公会堂)

首相としての在任期間は1806日。「ポスト中曽根」選びでは「安竹宮」と呼ばれたニューリーダー、自民党の安倍晋太郎総務会長、竹下登幹事長、宮沢喜一蔵相の3人のうち「中曽根裁定」で竹下氏を後継に指名した。

1997年 大勲位

勲章親授式で天皇陛下から大勲位菊花大綬章を受ける中曽根康弘・元首相(1997年5月7日、宮殿・松の間)

勲章親授式で天皇陛下から大勲位菊花大綬章を受ける中曽根康弘・元首相(1997年5月7日、宮殿・松の間)

1997年には大勲位菊花大綬章を受章した。戦後の首相で生前に大勲位を受けたのは吉田茂、佐藤栄作両氏に続く3人目だった。2003年、小泉純一郎首相からの引退勧告を受け、政界を退いた。

政界引退後も 憲法改正訴え

自身の白寿を祝う会で花束を受け取る中曽根元首相(2017年5月15日、東京都内のホテル)

自身の白寿を祝う会で花束を受け取る中曽根元首相(2017年5月15日、東京都内のホテル)

政界引退後も政治活動を続け、ライフワークの憲法改正を訴えた。18年5月27日の100歳の誕生日に出した談話では、与野党が真剣に改憲に取り込むことに期待を示した。

(映像はテレビ東京、写真は共同)

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