2018年12月12日(水)

楽しさと効率 追い続け コカ・コーラボトラーズジャパンHD社長 吉松民雄さん(もっと関西)
私のかんさい

もっと関西
コラム(地域)
関西
2018/10/30 11:30
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 ■東西のコカ・コーラブランド商品の生産・販売会社が統合して発足したコカ・コーラボトラーズジャパンホールディングス。初代社長に旧近畿コカ・コーラボトリング出身の吉松民雄さん(71)が就いた。飲料の営業職はかつて過酷な仕事と言われた。従業員がやりがいを持って効率的に働ける環境をつくろうとしている。

 よしまつ・たみお 1947年山口県生まれ。69年関西大学経済学部卒、近畿コカ・コーラボトリング(現コカ・コーラボトラーズジャパンホールディングス)入社。近畿コカ社長など経て、2018年から現職。

よしまつ・たみお 1947年山口県生まれ。69年関西大学経済学部卒、近畿コカ・コーラボトリング(現コカ・コーラボトラーズジャパンホールディングス)入社。近畿コカ社長など経て、2018年から現職。

関西大学ではバドミントンに打ちこんだ。実業団のある企業に就職したかったが、うまくいかなかった。近畿コカには大学の先輩がいた。「小さくてもいいから成長する会社を選べ」という父親の助言もあり、同社への入社を決めた。

営業職として「コカ・コーラ」「ファンタ」を売り歩いた。社会人になりたての昭和40年代は、コカ・コーラになじみのない消費者が多かった。小売店に商品を置いてもらうには粘り強く通う必要がある。トラックの運転や販売代金の回収など業務も幅広い。遅いと帰宅が午前0時を過ぎることもあった。

自分なりに工夫して顧客と信頼関係を築いた。例えば、靴を脱いで入る取引先では、玄関に散らばっている靴をすべてそろえた。たとえ雑談であっても5分以上はとどまるようにした。当時は現在よりも人間関係が濃密で、ファイトと根性を受け入れてくれる土壌があった。それでつらい仕事も乗り越えられた。

 ■30歳代で営業所の所長になってからは「3K(きつい・汚い・危険)」とも言われた職場の改革に着手した。

若手時代は営業職としてトラックの運転や代金回収などを担当した

若手時代は営業職としてトラックの運転や代金回収などを担当した

営業所の従業員の家族を招いて花見大会をしたときに「夫の帰宅が遅く、子供と話す時間もない」と10人くらいの奥さまから責められた。これではいけないと思い、いまでいう「働き方改革」に取りかかった。

就業時間管理システムの開発が印象に残っている。営業や物流など担当業務によって仕事量がばらつく問題があった。すべての従業員が早く帰れるよう、業務内容を洗いだした。取引先への訪問回数や滞在時間、飲料ケースの配送経路などあらゆるデータを分析。さらにコンピューターが自動で仕事を均等に振り分けるようにした。

営業所の成績も上がり、システムの運用は成功したと思った。ところが、従業員に尋ねると、この仕組みに満足しているのは約50人のうちわずか3人。「僕らは機械じゃない。決められた仕事を処理するだけでなく、楽しく働きたい」と言われた。がつんとやられた気がした。それ以降、仕事のやりがいと効率をどう両立させるかという課題の解決に取り組んでいる。

生産性の高い働き方を求める企業が増えている。一方、高水準の教育を受けた人材が単純労働で満足するわけがない。予期せぬ出来事が起こったときの対策としても、一定程度の柔軟性を持たせることが重要だと考えている。

 ■コカ・コーラがナショナルブランドとなった現在でも「地域密着」を経営理念に掲げている。

食べ物の好みには地域性がある。例えば、しょうゆはナショナルブランドであっても、シェアが50%を超えるものはない。コーヒーも関西ではミルク入りで甘い商品が好まれる。地域の嗜好に対応した商品は、訪日外国人客にも喜んでもらえる。

もっとも9月の台風21号で関西国際空港が一時閉鎖に追い込まれるなど、関西の課題が明らかになった。真っ先に解決すべきことは情報不足だろう。訪日客らが使えるWi―Fiが少ないのではないか。観光立国を目指すのであれば、災害や観光など幅広い情報を関係機関が積極的に発信しないといけない。

若手時代の1970年に大阪万博が開催された。約6500万人が訪れ、街には活気があった。もし2025年の万博を大阪市に誘致できれば、関西経済を活性化する大きなチャンスとなる。国内外から多くの人を受け入れる体制をいまからつくる必要がある。

(聞き手は大阪経済部 渡辺夏奈)

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