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変えるのは選手でなく自分 辻監督にみる将の心得

2017年の西武の春季キャンプ。就任したばかりの辻発彦監督に、私は「3年目で勝負できればいいな」と話した。16年までの3年間は5位、4位、4位。投手陣を立て直し、優勝争いができるまでには3年はかかる、との見立てだった。これに辻監督は「僕、2年契約しかしていないんです」。「2年はきついな」と同情交じりに励ましたのだが、蓋を開けてみれば就任1年目にチームを2位に押し上げ、今年は10年ぶりのリーグ優勝。きっちり2年で結果を残した手腕は見事だった。

強攻策で相手のみ込む迫力

現役時代の辻監督は、相手からすれば実にいやらしい選手だった。バットを短く持って狭い一、二塁間をしぶとく破り、盗塁を仕掛ける。送りバントにセーフティーバント、ヒットエンドランと相手をかき回す作戦を着実に実行する。1番、2番、9番とどの打順を任されても据わりがよく、玄人受けするバイプレーヤーだった。

そんな彼のことだから、監督になっても「スモールベースボール」を掲げるのかと思ったら、これが違った。秋山翔吾、浅村栄斗、中村剛也、山川穂高、森友哉ら強打者が並ぶ打線を前面に押し立て、とにかく打ち勝つ野球を志向した。監督就任と同じタイミングで入団し、2番で起用した源田壮亮にもあまり送りバントをさせず、強攻策で相手をのみ込もうという迫力を感じさせた。

2年契約の2年目にきっちり結果を残した辻監督の手腕は見事だった=共同

もっとも、ただ「自由に打て」と放任しているだけではない。あるとき、カウント3-0や3-1の場面から打って凡退した源田を辻監督が呼び、「3ボールから打ちにいっていいバッターはいっぱいいるけれど、おまえは違うだろ。おまえはつなぎだろ」と話したという。長く2番打者を務めた辻監督だけあって、1球待つことによる自軍のメリットや相手へのダメージというものを源田に理解させたかったのだろう。

少し前まで、西武のウイークポイントの一つといえたのが遊撃手だった。鬼崎裕司や金子侑司、永江恭平らが定位置獲得を目指したものの、誰もポジションをつかめないでいた。そこに割って入ってきたのが源田。1年目のキャンプで辻監督は「田尾さん、あれ、すごいでしょ。バットのヘッドが寝ないんですよ。全部立って出てくるんですよ」と感心していた。「ちっちゃいけれど、バッティングは意外といいと思いますよ」。源田は遊撃で開幕スタメンの座をものにすると、そこから2年間、全試合フルイニング出場。辻監督が性根を据えて起用し続ける姿勢が、不動の遊撃レギュラーをつくり上げた。

源田に自身の現役時代を重ねる?

辻監督は、源田に自身の現役時代を重ね合わせてきたのではないだろうか。日本通運では中軸を打っていた辻監督は、1984年の西武入りからほどなくしてスラッガーの衣を脱いだ。当時は現役晩年ではあったが田淵幸一さんや大田卓司さん、スティーブさんら長打を打てる打者が多くいた。そんな先輩たちとの力の差を感じ、長距離打者としては生き残れないと考えて行き着いたのが、バットを短く持ってこつこつ単打を放つプレースタイルだった。浅村、山川、中村ら長距離砲が居並ぶ打線にあっての源田は、まさに自身の合わせ鏡のような存在。源田にもプロで生きる道を見つけてほしいとの思いが、2番の心得を授ける背景にあったと考える。

ロングヒッターが多くいるチーム状況に合わせる意味もあってプレースタイルを変えた現役時代同様、監督になっても選手の陣容に合わせた野球をする。自ら思い描く野球観に選手を従わせようとする監督がいるなか、自身が周りに合わせる辻監督の柔軟性こそ優勝の原動力だったといえる。

辻監督にとって、源田は自身の合わせ鏡のような存在といえる=共同

就任2年目でリーグ優勝を遂げながら、クライマックスシリーズ・ファイナルステージでソフトバンクに敗れたのはさぞ無念だったろう。ここでも宿敵をたたき、同じリーグ覇者の広島と日本一を懸ける真の頂上決戦が実現していれば、どんなドラマが待っていただろうか。

西武―広島といえば、86年に両者が対戦した日本シリーズを思い出す。85年に中日から西武に移籍し、辻監督と同僚になった私は自身初の日本一を目指したものの、第1戦で引き分けた西武は次の試合から3連敗。たちまち後がなくなった。当時は森祇晶監督が連日ミーティングをしたが、私の感覚からすると長すぎた。広島の情報をあれもこれもと出しすぎて、かえって選手が動けなくなったきらいがあった。相手と勝負するよりも「何だったかな」と情報にばかり頭がいっていた感じだった。

短期決戦、勝敗左右する「きっかけ」

いよいよ窮地に追い込まれると森監督が動いた。「一回、選手だけで集まってくれ」。データから解放され、身も心も軽くなった気がした。ただ、選手だけで集まったところで今更特効薬が見つかるものでもない。確か東尾修さんか石毛宏典だったと思うが、皆に向かってこう言った。「これから4連勝はない。今まで西鉄ライオンズしかやったことがないんだから(58年に3連敗の後、4連勝)、まああすは負けるだろう。だからあさって、朝10時に西武園ゴルフ場に集合!」

ここからチームが息を吹き返すのだから、野球はわからない。西武球場での第5戦は延長十二回、工藤公康の決勝打でサヨナラ勝ち。もう行くことはないと思っていた広島市民球場に再び乗り込み、あれよあれよと第6戦、第7戦も勝って3勝3敗1分けのタイに。「ひょっとしたら……」と迎えた史上初の第8戦、同点2ランを放った秋山幸二のバック宙ホームインから流れをつかんでブコビッチの勝ち越し打が出て、西鉄以来の大逆転優勝を成し遂げた。

森さんが偉かったのは、3連敗後に選手だけでミーティングをさせてからは、シリーズが終わるまでその話し合いに首脳陣が一切、加わらなかったことだ。1勝、2勝と盛り返していくと、つい「いいか、みんな」とまた口を出したくなるのが監督というものだが、森さんは決して入ってこなかった。いい流れを切りたくなかったのだろう。「これは勝負師だな」と思ったものだ。このケースも選手に自分を合わせた好例といえる。

日本シリーズのような短期決戦は流れというものがあり、そこにうまくはまった方が勝つ。「どちらの投手陣が上だ」とか「打線はこっちが強い」とか、そういうものではない。4勝するまでには何かきっかけのようなものがあり、それをつかめるかどうかが勝敗を左右する。86年でいえば、選手ミーティングでのあのひと言がそれだった。はたして今年は広島とソフトバンクのどちらが、どんなきっかけをつかむだろうか。

(野球評論家)

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