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金閣寺で幻の池見つかる 義満急死し、未完成か

京都市北区の世界遺産・金閣寺(鹿苑寺)は15日までに、金閣の前にある鏡湖池の南側で、別の池跡(東西約76メートル、南北約45メートル)が見つかったと発表した。江戸時代の絵図「北山鹿苑寺絵図」(1790年)だけに描かれた「幻の池」で実態がよく分かっていなかった。

鏡湖池(奥)と今回見つかった池を隔てる堤の発掘現場(2017年6月、京都・金閣寺、京都市埋蔵文化財研究所提供)=共同

室町幕府3代将軍足利義満が山荘「北山殿」を整備した14世紀末に造成されており、金閣寺の変遷を知る手掛かりとして注目を集めそうだ。

水を張った痕跡はなく、庭園のような空間として活用されたらしい。発掘した市埋蔵文化財研究所は「義満は突然亡くなったため、北山殿を使ったのは10年ほどしかなかった。一定の形はできていたが、水を張るところまでたどり着かず未完成の池だったのではないか」としている。

義満は1397年から北山殿を整備。室町幕府の政治の中心地として機能し、1408年に義満が亡くなると、鹿苑寺となった。

池の堤は、15世紀後半に、さらに土を盛って高さ約2メートルの土塁のように改造されていた。1467年からの応仁の乱で寺が西軍の陣地となったことから、堤で寺を要塞化したと推定できるという。2つの池を隔てる堤も発掘した。

北山鹿苑寺絵図には2つの池が描かれており、鏡湖池は水面が青く塗られているのに対し、今回見つかった池は白いまま。江戸時代には池はよく分からず、地形から推定して描かれたとみられるという。

谷を厚さ約3メートルの土砂で埋める大規模な造成工事で広大な平地を造り、当初は高さ0.6~1メートルの堤部分を設けて池を造ったとみられる。造成土からは、14世紀末の遺物が出土した。池跡の北東部からは礎石が見つかっており、北山殿を構成する建物跡とみられている。現地説明会は開かれないが、13日から発掘成果の速報展を京都市考古資料館で開いている。〔共同〕

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