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元横綱 輪島、天性のスター 時代築いた「黄金の左」

学生相撲出身の初の横綱で、本名のまま横綱に上り詰めた初の力士。さらには「蔵前の星」「黄金の左」と呼ばれ、北の湖とともに「輪湖(りんこ)時代」も築いた。これほど肩書や代名詞を持ち合わせた力士もそういない。70歳で死去した元横綱、輪島大士(本名・博)さんは強烈な個性でファンを引きつけた。

1979年1月、大相撲初場所で土俵入りする横綱輪島(蔵前国技館)=共同

文字通り「スター街道」を歩んできた。石川県七尾市出身。日大時代の1968、69年に2年連続学生横綱に輝くなど14のタイトルを引っ提げて、鳴り物入りで花籠部屋に入門した。70年初場所で幕下尻付け出しデビューすると、2場所連続7戦全勝で優勝して十両に昇進。十両時代には、学生相撲でしのぎを削った長浜(元小結豊山)との一番に異例の懸賞がかけられたほどだった。

その後も快進撃でスピード出世した。角界入りした当初は185センチ、104キロ。肩幅の広い細身の体で、入門からわずか2年4カ月後に初優勝を飾り、その1年後の73年夏場所後には第54代横綱に昇進した。

角界の「常識」を次々と打ち破ってきた。高級外車リンカーンコンチネンタルで場所入りし、当時は角界でタブー視されていたランニングを稽古に積極的に取り入れた。そして「黄金の左」と呼ばれた左からの下手投げ。角界では「下手投げを得意とする力士は大成しない」が定説だった。相手を呼び込むリスクもあるためケガを招きやすいうえ、上手投げとの打ち合いになると圧力がかかりにくく不利とされた。

だが、輪島さんと38回対戦した元大関増位山の沢田昇さん(69)は「理詰めで相手を追い詰めてきた。左下手を取られると、右からのおっつけが強くて、下から下から攻められてつり気味にされて攻撃が封じられた」と振り返った上で、「猛稽古はしていないけど(左下手投げという)一つの形をつくった天才だった」と評す。

相撲の基本に裏打ちされた流れのある左下手投げは、見る者を魅了した。積み重ねた優勝14回は歴代7位の記録。周囲の期待にたがわぬ結果を残し、「学生相撲出身は大成しない」とされる常識をも打ち破った。親方になった後は金銭トラブルで早々に廃業したこともあり、角界在籍期間はわずか15年。だが、学生相撲出身者に道をつくり、大相撲ファンを開拓したその功績は今なお輝いている。(金子英介)

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