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変幻自在の騎乗 「マジックマン」の衝撃波

2日午前、千葉県白井市の日本中央競馬会(JRA)競馬学校。普段は中央競馬の騎手や厩務員を目指す人々が学ぶ場所で、この日は取材陣が一人のブラジル人を待ち構えていた。騎手のジョアン・モレイラ(35)。午前10時から行われた2019年度のJRA騎手免許試験の1次(筆記)に臨んでいた。JRAは14年度から英語で筆記試験を受験する道を開き、今年の最多勝レースを先導するクリストフ・ルメール(39、フランス)、2位のミルコ・デムーロ(39、イタリア)は、15年度に試験を突破して通年免許を得た。モレイラが目指すのも2人と同じ道である。

試験は午前11時半に終了し、黒のスーツ、黒のネクタイのモレイラが現れた。疲れの色が明らかな表情。「難しい(試験)と聞いていたが、想像以上だった。90分、一生懸命書き続け、首が痛くなった」と話した。筆記試験の類いは12年ぶりといい、「時間配分が難しく、答えきれない設問もあった」。成否については「フィフティフィフティ」と両手を広げてみせた。

香港のスーパースター、日本目指す

モレイラのJRA参戦の考えが伝えられたのは今年6月7日。従来、拠点を置いていた香港の英字紙サウスチャイナ・モーニングポスト(電子版)が報道した。記事が掲載された時期は、18~19年シーズンの香港ジョッキークラブの騎手免許申請の締め切りに当たり、モレイラは更新を申請せず、同紙に日本進出の意思を語った。

モレイラは01年に母国のブラジルで騎手デビューし、南アフリカなどでも活躍した後、09年にシンガポールに拠点を移し、4季連続の最多勝を達成。12年には206勝を記録した。13年から香港に進出し、13~14年シーズンは途中からの参入で97勝をあげて2位。翌14~15年シーズンからは3季連続で2位を引き離して最多勝を飾った。17年3月5日には香港で最多となる1日8勝もあげた。

こうして香港では「雷神」「マジックマン」と異名を取るようになったモレイラは、時期を同じくして日本にも足を踏み入れる。14年の安田記念(グロリアスデイズ=6着)で国内初参戦。翌15年から夏の札幌に限って外国人短期免許で騎乗。札幌でも短期間で関係者、ファンに強烈な印象を残した。15~17年で124戦31勝。25%の驚異的な勝率を記録し、今夏は4週だけで75戦31勝。勝率41.3%。試験を前にした9月29日から、再び短期免許(最大で1年に3カ月騎乗可能)で中山に参戦し、2日で騎乗機会4連勝を含む16戦7勝。初騎乗の舞台で自在のレース運びをみせ、勝ち星を38に。JRAは年間52週の施行。5週で38勝だから、年間400勝近いペースだ。

馬と一体感、美しいフォーム

モレイラの騎乗を見ていて、素人目にもすぐわかるのは姿勢の低さ。上体が馬の首にはり付くほどで、他の騎手との違いは一目瞭然だ。馬との一体感が感じられるフォームで、実際に直線に入ると馬がよく動く。9月29日の11レース(ロードカナロアメモリアル=芝1600メートル)では、気性面の問題から詰めを欠くレースを繰り返してきたプロディガルサンで快勝。これが実に約3年ぶりの勝ち星だった。国内では札幌の騎乗がほとんどだったが、芝もダートも直線が260メートル台と短く、直線までにある程度、位置取りを押し上げておかないと厳しい。モレイラは序盤で後方にいても、他馬が動かない中盤で一気に先行集団に取りつくような思い切った動きをしばしばみせる。変幻自在という表現がふさわしい。

ほぼ札幌だけで騎乗してきたため、国内G1では未勝利。重賞勝利も今年8月26日のキーンランドカップ(G3・芝1200メートル)が初めてだったが、日本馬とのコンビで、既にG1を4勝。昨年3月末のドバイ・ターフ(メイダン・芝1800メートル)をヴィブロスで鮮やかに差し切り、4月末の香港G1、クイーンエリザベス2世杯(シャティン・芝2000メートル)では、ネオリアリズムで先行策から押し切った。後者は前半から超スローペースで、ネオリアリズムは首を上げる場面もあった。だが、巧みに落ち着かせて8頭中6番手を進むと、1000メートル以上残っている時点で早々と進出を開始して一気に先頭に。ここから一貫して早いラップを踏みながらも余力を残し、地元の強豪パキスタンスター、ワーザーを小差で抑えた。「マジックマン」の本領発揮だった。

デムーロやルメール以上か

これほどの名手がなぜ、日本を目指すことになったのか? 競馬自体のステータスなら北米や欧州の方が上だが、最下級条件戦でも欧州の重賞並みというJRAの賞金水準は魅力に違いない。加えて、日本でモレイラを重用しているのがノーザンファーム(NF)という点も大きい。ヴィブロスもネオリアリズムもNF生産馬であり、NF関係馬なら世界の大レースを狙えると考えたことは想像に難くない。加えて、今年に入って外国人騎手が香港を去る動きが相次ぎ、臆測を呼んでいる。モレイラの場合、香港の大レースを日本馬で勝ったことが、地元関係者の不興を買った面もあるとされる。理由はどうであれ、大スターの日本参戦は競馬を盛り上げる。

だが、他の騎手には途方もない脅威だ。特にJRA生え抜き騎手の状況は厳しい。5日現在の勝利数ランクでは、ルメールが148勝で首位を独走し、2位のデムーロが121勝。3位が公営・大井出身の戸崎圭太(38、美浦)で85勝。JRA生え抜き組トップの福永祐一(41、栗東)は76勝でルメールの半分を超える程度。戸崎は16年に1勝差でルメールを抑えて最多勝に輝いたが、17、18年は両外国人との差が広がる一方だ。JRA生え抜き組は16年以降、最多勝争いに参加さえできていない。

JRAの騎手の勢力図は、9月29日に中央通算4000勝を達成した武豊(49、栗東)が最多勝を譲った09年から混戦状態に入り、13年までの5年で4人が最多勝を獲得。翌14年から16年は戸崎が3年連続最多勝を守ったが、昨年からはルメールの独り舞台が続いている。ここにもしモレイラが通年で参戦したら……。400勝はともかく、300勝でもJRAが年間に施行する平地競走の約9%に当たる。誰の勝ち星が食われるかは読みにくいが、NF生産馬である程度の稼ぎがある騎手はランクの上下に関係なく、ダメージは避けられないだろう。

ペーパーテストで騎手選ぶ?

だが、「マジックマン」の前にはペーパーテストという高い壁が立ちはだかる。ムチを持てば勝率4割の男も、相手が紙とペンでは勝手が違う。今回の試験の結果は10月11日に発表されるが、不合格の場合も母国に拠点を置き、挑戦を続ける考えだ。過去にはデムーロも初受験だった14年度(実施は13年秋)にはね返された。もっと遡れば、02年度に当時は岐阜・笠松所属だった安藤勝己・元騎手(58)が免許試験に受験して不合格。既にJRAでレギュラー級の活躍を続けていた安藤氏の不合格はファンの強い反発を買い、JRAは翌15年度から中央で直近3年の間に2回、20勝以上をあげた地方騎手に、筆記試験の負担を大幅に軽減する措置を導入。このルールの適用を受けて安藤氏は03年度に合格して中央入り。以後、岩田康誠(44、栗東)、内田博幸(48、美浦)、戸崎らの地方の有力騎手が大挙、中央に移籍した。

実は勝利数で基準に届かず、試験だけで中央入りした例もある。05年度に兵庫所属だった赤木高太郎(48、現調教助手)と、元笠松の柴山雄一(40、美浦=現役)が合格した。ペーパーテストが身を助けた格好で、騎手に求められる資質とは何かを考えると、当人の努力は別として、制度のあり方に違和感を覚えざるを得ない。

諸外国にあっては、騎手免許は基本的に運転免許と大差はない。競馬場という道路で、自動車ならぬ馬に乗る資格程度のものだ。運転免許を持つ人のうち、実際に運転を業とする人が一部にすぎないように、海外の騎手免許は「騎手で生きていく」保証にならない。だが、日本では騎手免許は特定のサーキットにおける営業免許の意味を持っている。JRAは有力な外国人騎手に3カ月の短期免許は出しても、通年免許となると対応も違ってくる。モレイラ級の騎手なら、世界のどの競馬施行者も三顧の礼で迎えるだろう。だが、JRAではモレイラが試験に落ち、モレイラより技量が劣っても、ペーパーテストへの対処能力の高い人が合格することは十分ある。仮にもそんな事態になれば、一般のファンはもちろん、国内外の関係者の冷たい視線がJRAに刺さるはずだ。

徹しきれぬ「来る者拒まず」

騎手、調教師の免許試験のうち、1次(筆記)の問題は、JRAの情報公開制度を利用すれば閲覧できる。何度か見たことがあり、デムーロが不合格となった14年度の英語の試験は、同年の日本人騎手向けの試験問題をそのまま英訳したもの。とにかく、必死で暗記を重ねて、やっと対応できると感じた。騎手にこうした知識を要求することに、何の意味があるのかと思わざるを得ない。ただし、こうした関門には、JRA生え抜き騎手の不満を抑えるという政治的意味はあるのかもしれない。短期免許制度にしても、ルメールやデムーロの通年免許取得に合わせて、申請のハードルが上がった経緯がある。

現在の免許試験制度のあり方は、様々な臆測を呼ぶ余地がある。「モレイラは国内のG1勝利がまだなく、日本で10年以上乗り続けて試験に臨んだルメールやデムーロよりも不利ではないか」といった話である。ともかくスポーツの理屈に徹するなら、「来る者は拒まず。生き残るか否かは腕次第」とすべきところ。踏み切れないのが、真の一流競馬国になれない理由なのかもしれない。

(野元賢一)

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