松鶴の奔放、継ぐ個性 笑福亭一門集う「生誕百年祭」(もっと関西)
カルチャー

2018/9/21 11:30
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大阪の演芸場が3~9日、笑福亭一色に染まった。「六代目笑福亭松鶴生誕百年祭」と銘打ち、六代目松鶴の直弟子から曽孫弟子まで一門の約70人が集まり、連日大にぎわい。自由奔放で型破りだった師匠の気風を弟子たちも引き継いでか、これまで一門が集まる催しはなく、多くが「最初で最後」と口をそろえる貴重な1週間となった。

最終日終演後に挨拶する松枝、鶴瓶ら(大阪市の繁昌亭)

最終日終演後に挨拶する松枝、鶴瓶ら(大阪市の繁昌亭)

天満天神繁昌亭(大阪市北区)は「松鶴生誕百年祭ウィーク」と題し、1週間の昼席すべてを一門の噺家が担当。目玉は7~9日の夜席。鶴光や福笑、松枝ら直弟子たちが高座に上がった。朝席や動楽亭(同市西成区)の夜席では若手中心の会も催された。

1986年に亡くなった六代目笑福亭松鶴

1986年に亡くなった六代目笑福亭松鶴

迫力ある話芸で、桂米朝らとともに「上方落語四天王」に数えられた六代目笑福亭松鶴。上方落語協会会長として初の寄席「島之内寄席」を開くなど、上方落語再興の立役者でもある。

そんな一門がこれまで集う機会がなかったのは「芸風も所属事務所も違う。バラエティーに富んだメンバーで、そろえるのが難しかったから」と発案者で実行委員を務めた鶴笑は言う。「みんな好き勝手でまとまりがないという面もある」とも。鶴笑らは「生誕100年、三十三回忌を逃したら二度とできない」と、兄弟子たちの元を駆け回って調整し、開催にこぎ着けた。

■怒られ自慢に

期間中、六代目松鶴について、落語の合間に設けられた口上や思い出話のコーナーなどで数多くのエピソードが語られた。そのほとんどが弟子たちへの罵倒や、時に理不尽な命令など。場は怒られ自慢の様相も。「記念公演なのに、いい話が本当に一つも出てこない」と笑い飛ばした。

各自の出番では、そんな怒りっぽい師匠の姿を鶴瓶が古典落語「癇癪(かんしゃく)」に取り込んだ独自のアレンジに仕立てた。鶴笑は自作した「パペット松鶴」を操り、六代目になりきって「いらち俥(ぐるま)」を熱演。8日夜席トリの福笑は自作の創作落語「憧れの甲子園」を松鶴の「一人酒盛」から着想したことを明かして口演した。

最終日夜席のトリを務めた松枝は、若き日に廃業を覚悟したある落語会の後、六代目と差し向かいで話すうちに再度落語家として生きる道を決めたという。その落語会で師匠がかけていた「三十石」を1週間のお祭りの締めくくりに披露。終盤には当日出演の鶴瓶をはじめ多くの笑福亭の落語家が袖から舟歌を歌い、大団円となった。

六代目の実父、五代目松鶴は上方落語の再興を目指し、激減していた落語家の数を増やすことを重視した。六代目もその思いを引き継ぎ、弟子を多く取ったが、鶴瓶よりも後に入門した弟子に直接稽古をつけることは少なかったという。

評論家の木津川計氏は「(六代目松鶴は)話芸という点で米朝をしのぐほどの魅力があった」としつつ「(一門にまとまりがないため)最近までその話芸を一門として引き継げる体制になっていなかったのは残念」と話す。

■二度とない機会?

それでもこの1週間について、実務を担当した孫弟子のたまは「六代目から続く『笑福亭らしさ』としか言えないものが、お客さんにも伝わったのではないか」と振り返る。「それぞれが自分の道を探して系統の違う落語家に育った。今回その個性的な落語家が次から次へ登場する面白さが出た」と松枝。

客席も連日多くの落語ファンでにぎわい、「他の一門会とは明らかに違う熱気があった」との声もファンの間から聞かれた。次の機会も期待したいところだが、直弟子数人から「やるとすれば、六代目の五十回忌にあたる17年後。その頃には(直弟子は)みんな生きていないだろうが」と同じ答が返ってきた。

(大阪・文化担当 佐藤洋輔)

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