2018年11月13日(火)

尼崎脱線事故現場、慰霊施設完成 遺族に複雑な思いも

関西
2018/9/14 16:13 (2018/9/14 22:14更新)
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兵庫県尼崎市で2005年4月、乗客106人と運転士が死亡したJR福知山線脱線事故で、列車が衝突した現場のマンション周辺を慰霊の場とする整備工事が終わり、JR西日本が14日、遺族や負傷者に公開を始めた。20日まで続け、21日からは一般公開とする。訪れた遺族らは「悲惨さが伝わらない」「見学者に事故を語り継いでほしい」と複雑な心境を吐露した。

公開された「祈りの杜 福知山線列車事故現場」(14日午後、兵庫県尼崎市)

慰霊碑の前で手を合わせる女性(14日午後、兵庫県尼崎市)

名称は「祈りの杜(もり) 福知山線列車事故現場」。事故後、JR西がマンションを含む一帯の約7500平方メートルを買い取り、一部を保存して整備した。マンションは階段状に4階部分までを残し、アーチ状の屋根で覆った。遺族らの心情に配慮し、事故の痕跡が残る柱などがある北側の一角は一般の見学者が立ち入ることはできない。

マンション東側の広場に慰霊碑や犠牲者の名碑などを設置。広場入り口の建物には、事故に関する資料や遺族らが犠牲者に向けてつづった手紙などが展示されている。

次男の昌毅さん(当時18)を事故で亡くした上田弘志さん(64)は慰霊碑に献花後、「慰霊碑の前に立つだけでは事故現場という感じがしなかった。悲惨さが伝わらないのでは」と話した。「事故のむごさをJR西の社員にもはっきり感じてもらうために、映像などの形で本来のマンションの姿を示すよう働きかけていきたい」と言う。

長男の貴隆さん(当時33)を亡くした大前清人さん(76)は、当初は事故を思い出すつらさからマンションの全面撤去を望んでいたという。「名碑に刻まれた息子に話しかけることができた。多くの人に訪れてもらい、事故を語り継いでほしい」と施設の完成を前向きに受け止めた。

現場のマンションを巡っては、遺族から保存や撤去といった様々な意見が出る中、JR西が15年3月、遺族らのアンケート結果などを基に一部を保存することを決定。16年から工事を進め、整備完了までには事故から13年を要した。

完成した施設を14日に訪れたJR西の来島達夫社長は「事故の事実を残しつつ、悲惨さを伝えるための保存のあり方として一番良い選択肢をとった」と強調。「事故を風化させずに伝えていく施設のあり方を引き続き考えていく」と話した。

事故車両の保存や活用についてもJR西と遺族の間で話し合いが続いているが、結論は出ていない。来島社長は「被害者の幅広い意見をくんで検討する」とした。

JR西は、事故が発生した4月25日に合わせて尼崎市の施設で毎年開いている追悼慰霊式を、19年から事故現場に変更する方向で検討している。

教訓伝える事故遺構、公開まで長期化も 会社や遺族で割れる意見
 過去の鉄道や航空機の大事故でも、現場や車両・機体が様々な形で保存されたり展示されたりしている。会社や遺族らの間で意見が分かれ、保存のあり方が決まるまで時間がかかることも多い。
 1985年に群馬県上野村で520人が死亡した日航ジャンボ機墜落事故。羽田空港にある日本航空安全啓発センター(東京・大田)で機体の残骸や部品などの公開に至るまで21年かかった。
 日航は当初、圧力隔壁など一部の部品を社員教育のために残し、他の機体部分の活用法は決まっていなかった。遺族らの繰り返しの要望や外部の有識者の提言を受け、安全啓発センターで展示する方針を決定。社員や一般の見学者に事故の悲惨さを広く伝えている。
 滋賀県信楽町(現・甲賀市)で91年、42人が犠牲となった信楽高原鉄道事故では、2年後に慰霊碑と参道が現場近くに整備された。97年からは信楽駅(同市)の駅舎隣の資料室で事故車両の部品やヘッドマークなどを展示する。信楽高原鉄道の担当者は「社員や信楽を訪れた人が事故を学び、安全の大切さを心に刻んでほしい」と語る。
 事故や災害の現場保存に詳しい金沢大の井出明准教授は「現場の遺構などを適切に保存するのは遺族の慰霊のためだけでなく、社会に教訓を伝える点で重要だ」と指摘。現場などの保存については「会社と遺族の話し合いに第三者が加わることでより早く合意し、公共性のある遺産として残す可能性が広がる」と話している。

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