オスロ合意から25年、パレスチナ和平は暗礁に
トランプ米政権、イスラエル寄りが鮮明

2018/9/13 17:23
保存
共有
印刷
その他

【ドバイ=岐部秀光】敵対していたイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)が1993年9月13日、お互いを認めて和平の話し合いを始めた歴史的なオスロ合意(暫定自治宣言)から25年が経過した。和平のプロセスは暗礁に乗り上げたままだ。イスラエル寄りの立場が鮮明なトランプ米政権の誕生で、交渉再開の糸口さえ見えない。

共に有数の産油国であるイランとサウジアラビアの対立の先鋭化、シリア内戦の混迷といった大きな動きが相次ぎ、中東の政治におけるパレスチナ問題の重要性は低下したようにもみえる。しかし、民衆の心から離れないこの問題は、政治と経済の大きな変革期に差しかかる中東を大きく揺さぶるリスクをはらむ。

4月にサウジで開かれたアラブ首脳会議。ホスト役のサルマン国王は会議を「アルクッズ(エルサレム)サミット」と名付け、パレスチナ支援での結束を強調した。「近くにいる者も遠くにいる者も、パレスチナと、その人々のことを忘れはしない」と訴えた。

翌月、トランプ大統領が強行した在イスラエル米大使館のエルサレムへの移転式典は、異様ともいえる宗教色を帯びていた。ユダヤ教徒でトランプ氏の娘婿のクシュナー米大統領上級顧問と、ネタニヤフ・イスラエル首相のあいさつに続き、ユダヤ教の指導者ラビとキリスト教福音派の牧師が祝福をあたえた。福音派はトランプ氏の重要な支持基盤。式典には米国の内政が大きく影響した。

第2次世界大戦後、パレスチナ問題は常に中東政治の中心にあった。パレスチナの小さな土地の領有権の争いに、アラブの指導者が必死になるのは、それが国民との間の社会契約の根っこにあるからだ。その重要性を認識していた歴代の米大統領は細心の注意を払ってこの問題を取り扱った。

アラブの政治システムの特徴は、国民が政治参加を制限される代わりに、指導者が人々の生活や教育の面倒をみることにあった。石油やガスなどの豊富な天然資源や、外国からの援助、運河の通行料収入がこの独特のしくみを支えた。そして、同胞であるパレスチナ人を助けることは、契約の筆頭にあったはずだ。

アラブ指導者はいま、この社会契約の書き換えを強いられている。石油の時代の終わりが見えはじめ、人口が増えて従来の国家丸抱えを続けられなくなったからだ。

増税や緊縮で人々の負担が増し、変革の過渡期はきわめて不安定な状況におかれる。民衆が不満を募らせれば、裏切られ続けたパレスチナについての約束を思い出し、矛先を自分たちの指導者に向けるかもしれない。

トランプ氏は中東和平の「究極のディール」をめざすと発言する。しかし、国際社会の反対を押し切り、米大使館を移転した。最近では国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)への資金拠出を拒み、PLOのワシントン事務所閉鎖も決めた。パレスチナ側は反発し、話し合いを再開するメドはたっていない。

アラブ統一研究所(カイロ)のヤセル・タンタウィ氏は「米大使館のエルサレム移転でオスロ合意は死を迎え、最終合意は不可能になった」と指摘する。

オスロ合意はノルウェーの仲介による秘密交渉で実現した。当時のクリントン米大統領の前で、PLOのアラファト議長とイスラエルのラビン首相が歴史的な握手を交わした。この功績でノーベル平和賞を受けたアラファト氏とラビン氏はすでにこの世を去った。

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ



[PR]