2018年11月19日(月)

尾道柿の里 復活の芽 柿渋に着目、体験工房やカフェ
地域の宝「次世代に」

中国・四国
2018/9/13 6:00
保存
共有
印刷
その他

広島のカキは海だけでなく里山にもある――。400年の歴史を誇った広島県尾道市の柿の里が今秋、新たな拠点を設けて復活に向け始動する。柿から作る染料の柿渋の体験工房やカフェを開設して交流人口を増やすほか、柿の木のオーナー制度も始める。クラウドファンディングなども活用し、持続可能な経済システムを再構築する。

3カ月発酵させた柿渋をかめに仕込み、約2年間熟成させる(広島県尾道市の尾道柿園)

柿渋のほか、柿酢や柿のドライフルーツなども販売する(広島県尾道市の尾道柿園)

「尾道は日本一の柿渋産地だったんですよ」。尾道柿園(広島県尾道市)の宗康司社長(62)は穏やかに話し始めた。柿渋とは家屋や衣類の耐久性を高めるために使う染料。戦国期に海賊として活動した村上氏の子孫が江戸期に船の帆を染めるのに重用、因島(尾道市)で盛んに生産された。

尾道柿園がある御調地区も柿の木が多く、鏡餅に飾る串柿の名産地として栄えた。だが1970年に約150軒あった柿農家は串柿の需要減少とともに2010年には8軒に。宗さんの実家も串柿作りをやめた。

秋空の下、オレンジ色に輝く何百もの干し柿。そんな日本の原風景が失われるのを惜しんだ宗さんは11年、岡山県の会社を退職して帰郷。柿の里の再生に踏み出した。

調べてみると、周辺には樹齢100年級の大木が1千本以上も残っていた。まず干し柿作りに着手。周囲は耕作放棄地だらけで残留農薬の心配も薄く、無農薬・完全天日干しで「濃厚なのにさっぱりした味」(宗さん)の柿は楽天などで年5万個売れる商品に育った。

ただ干し柿の時期は晩秋の2カ月だけ。そこで通年商材として柿渋に着目した。「安心安全の柿渋は、せっけんや麺類に混ぜたり日曜大工の染料に使ったり、様々な用途が考えられる」。柿渋の色合いは英語で「JAPAN BROWN」。米デザイン事務所との取引も始まるなど外国人の関心も高まりつつある。

血圧を下げるとされる柿酢や、ドライフルーツの生産にも乗り出した。耕作放棄地に130本の柿を植えるなど新たな生産体制も整備する。

11月にカフェを備えた柿渋工房を開設する。空き家をリノベーションした約73平方メートルの工房で、干し柿の仕込みや柿渋染色体験を実施する。ピザ窯を備えた小屋も設け、柿のドライフルーツをトッピングしたピザも提供する。投資額は約1千万円。自己資金や尾道市の補助金のほか、500万円はクラウドファンディングで調達する。

「御調地区にはかつて伝統的な柿の経済があった。串柿の需要は無くなったが、時代のニーズに合った自然素材の柿製品は需要が見込める。これで再び経済を回し、次の世代につなげたい」。地域の宝を磨き直し、改めて光を当てる動きが形になろうとしている。

工房は里山の頂上に立つ。人家の途絶えた道を車で10分ほど上った山の頂に蔵を備えた立派な家々の20軒ほどの限界集落がこつぜんと姿を現す。宗さんはここを「東洋のマチュピチュ」と表現する。きっと小春日和の日には多くの写真愛好家らが陽光に輝く数万個の干し柿のオレンジ色のカーテンをカメラに収めに上ってくることだろう。

(福山支局長 増渕稔)

今なら有料会員限定記事もすべて無料で読み放題

保存
共有
印刷
その他

関連企業・業界 日経会社情報DIGITAL

電子版トップ



[PR]

日本経済新聞社の関連サイト

日経IDの関連サイト

日本経済新聞 関連情報