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生駒ケーブル100年 山あり谷あり(もっと関西)

とことんサーチ

国内最古のケーブルカー、近畿日本鉄道・生駒鋼索線(生駒ケーブル)が1918年の開業から100年を迎えた。犬と猫を車体にデザインした車両など観光客や沿線住民に幅広く愛される路線だ。時計の針を開業当時の大正時代に巻き戻すと、近鉄の前身、大阪電気軌道とのつながりなど意外な歴史も見えてくる。

生駒ケーブルは2つの路線からなる。近鉄奈良線生駒駅近くの鳥居前駅から宝山寺駅を結ぶ宝山寺線と、さらに生駒山上駅までの山上線だ。両線はつながっておらず、宝山寺駅での乗り換えが必要だ。

宝山寺線は線路が2つ並ぶ「複線」だが、通常は片側のみ運行され、宝山寺への参拝客が増える時期などに両方を使う。山上線の途中にある霞ヶ丘駅は乗降客ほぼゼロの「秘境駅」だ。

生駒ケーブルの歴史を振り返ろう。大正時代に小さな私鉄がケーブルカーを開業できたのはなぜか?

「生駒ケーブルには近鉄の創業史が詰まっている」。2010年に発行された「近畿日本鉄道 100年のあゆみ」の編さんに携わった、奈良大学文学部の三木理史教授は指摘する。

近鉄は関西地方を中心に私鉄が合併を繰り返して現在の形になった。母体の一つが大阪と奈良を結ぶ大阪電気軌道(大軌)だ。

大阪―奈良は明治時代中ごろに大阪鉄道、現在のJR関西本線が開通していた。ただ、急峻(きゅうしゅん)な生駒山地を迂回したため100分ほどかかっていたようだ。

大軌は距離と時間短縮を狙い、上本町(大阪市)―奈良の路線開設の特許を取得。生駒山地越えを検討するなかで、現在の国道308号に沿って線路を敷設し、ケーブルで牽引(けんいん)する車両に電車をつないで暗(くらがり)峠を登る構想が浮上した。香港のケーブルカーや京都で琵琶湖疏水を往来する船を運ぶ「インクライン」にヒントを得たといわれる。

だが、「暗峠越え」は構想で終わる。「輸送力と時間短縮効果に疑問符が付いた」(三木教授)。トンネル建設に舵(かじ)を切り、生駒トンネルが完成、1914年4月に上本町―奈良が開業した。

大軌開業から数カ月後、宝山寺への参拝客をケーブルカーで運ぼうと生駒鋼索鉄道が設立された。大軌の経営参画を経て、1918年に宝山寺線が開業した。三木教授は「大軌が生駒山越えで検討したケーブルカーの技術を採用したと見るのが自然」と指摘する。

生駒ケーブルにはもう1つ言い伝えがある。大軌が生駒トンネル掘削時に資金難に陥った。宝山寺からお賽銭(さいせん)を支援してもらったというものだ。三木教授は「史料を調べたものの、賽銭に関する記述はなかった」と話す。

生駒ケーブルは大勢の参拝客を運び、門前町もにぎわった。大軌は好業績の生駒鋼索鉄道を取り込む形で合併。生駒山上遊園地の開園に合わせて山上線も開業した。遊園地内の飛行塔が第2次大戦中に軍の監視施設として利用されたため、金属類回収令が発令されたときも廃線を免れた。

終戦とほぼ同時期に運転再開。2000年には「ブル」「ミケ」など新型車両を導入した。道路整備とマイカーの普及で乗客は減ったとはいえ、今でも年間約40万人が利用する。

遊園地から大阪方面を見下ろし、暗峠をケーブルカーが上っていたら…と空想するのも面白いのでは。

(東大阪支局長 苅谷直政)

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