保存か解体か 「中銀カプセルタワー」を中から撮った

東京・銀座のはずれに風変わりな建物がある。「中銀(なかぎん)カプセルタワービル」だ。オリンピックを前にして、再開発が進む中、建築から50年近く経つこのビルも、保存か解体かで揺れている。建築物としての価値を訴える人たちは、東京都知事宛の署名活動を2018年8月から開始。ここでは、あまり知られていない中銀カプセルタワー内部を写真で紹介しよう。
◇ ◇ ◇
中銀カプセルタワービルの設計者は「メタボリズム」のパイオニア、黒川紀章氏。メタボリズムは1960年代の建築運動で、急速かつ継続的に発展する都市景観の変化に適応し得るようなダイナミックな建物という概念を提示した。
タワービルはドラム式の洗濯機を積み重ねたような外観だ。鉄筋コンクリート造りの2つのタワーと、「取り外し可能」な直方体の部屋から成る。各部屋の床面積は約10平方メートル。
工場で製造したものを4つのボルトでタワーに固定している。タワーはそれぞれ11階建てと13階建てになる。カプセルと呼ばれる部屋には、つくり付けの家具や電化製品が完備されており、航空機のトイレと同じ大きさのバスルームもある。

中銀カプセルタワービルは1972年に建設された。黒川氏はこれを新時代の幕開けと位置づけていた。
ところが、中銀カプセルタワービルは決して実現しない理想郷と化した。カプセルは25年ごとに交換される予定だったが、コストが高過ぎると判明。周りには実用的なビルが次々と建てられ、タワービルは今、過去の遺物として存在感を放っている。
2007年に黒川氏が死去すると、居住者たちはコンクリートの老朽化やパイプからの水漏れを理由に、この傑作を解体し、平凡なアパートに建て替えることを投票によって決定した。ただしこの計画は、2008年、株式市場の暴落によって中止を余儀なくされた。

シカゴ在住の写真家ミナミ・ノリタカ氏は2010年、中銀カプセルタワービルでの暮らしと建物の運命の記録を開始した。ミナミ氏はこの7年間に10回近くタワーを訪れている。「建物を訪問するたび、建築と居住者の両方について新しい発見があります」とミナミ氏は語る。


転居した人もいれば、オフィスとして貸し出している人もいる。唯一無二の住居にとどまるため、リフォームを選択した人もいる。
ミナミ氏は居住者を撮影せず、所有物からその存在を感じてほしいと考えている。「(カプセルは)人々のアイデンティティー、関心、趣味、好みが詰まった入れ物として機能しています」


2020年の東京五輪が近づくにつれ、東京のいたるところで開発が進められている。同時に、歴史あるタワービルの未来に関する議論も再燃している。
ミナミ氏は、中銀カプセルタワービルがメタボリズム運動の象徴として保存されることを願っている。効率的な都市生活の実現というタワーのコンセプトは現代にも通じるものだ。また、日本が歩まなかった道、訪れなかった未来を思い出させてくれる存在でもある。


「日本では、現代建築の保存があまり重視されていません」とミナミ氏は話す。「経済発展のために解体するというお決まりのやり方ではなく、そこに存在させ続けることが重要なのです」
オーナーや居住者たちの個性がわかる部屋の様子を次ページでさらに紹介する。












(文 Ye Ming、写真 Noritaka Minami、訳 米井香織、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2017年10月30日付記事を再構成]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。