邪馬台国を見晴らす楼閣 唐古・鍵遺跡(もっと関西)
時の回廊

2018/9/5 11:30
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公園にそびえる楼閣。出土した土器に描かれた姿から復元した(奈良県田原本町)

公園にそびえる楼閣。出土した土器に描かれた姿から復元した(奈良県田原本町)

弥生時代の環濠(かんごう)集落跡では近畿最大級の唐古(からこ)・鍵(かぎ)遺跡(奈良県田原本町、国史跡、紀元前6世紀~紀元3世紀)が4月、史跡公園として装いを新たにした。近くには邪馬台国の有力候補地、纒向(まきむく)遺跡(同桜井市、国史跡、3世紀)があり両遺跡の関係が注目を集める。公園には当時の楼閣が復元され、遺跡のシンボルとしてそびえている。古代、楼閣からはどんな景観が展望できたのだろうか。

褐鉄鉱を利用した容器と、中に収めてあった翡翠の勾玉

褐鉄鉱を利用した容器と、中に収めてあった翡翠の勾玉

唐古・鍵遺跡は奈良盆地の中央にあり、範囲は42万平方メートルに及ぶ。発掘は1936~37年を皮切りに125回を重ね、膨大な数の遺物が発見されている。それでも「調査面積はまだ遺跡全体の8%ほど」と同町埋蔵文化財センター長の藤田三郎さんは説明する。

■幾重の環濠復元

遺跡の存在が最初に報じられたのは1901年。環濠集落と分かったのは77年の第3次調査だった。「以前は環濠ではなく、単なる溝か川と考えられていた」と奈良県立橿原考古学研究所の菅谷文則所長は話す。一帯は低湿地で、発掘の際は大量のわき水を排出する必要がある。菅谷所長は「昔はポンプの性能が悪く苦労した。研究が進んだのはポンプの進歩のおかげとも言える」と笑う。

楼閣など様々な絵画が線刻された土器を展示している

楼閣など様々な絵画が線刻された土器を展示している

遺跡の中心部約10万平方メートルが「唐古・鍵遺跡史跡公園」となり、5~8重に巡っていた環濠などが一部復元された。楼閣は中央にある農業用池の岸にそびえる。高さ約12メートル、建てられたのは24年前。渦巻き状の装飾をもつユニークな姿は、出土した土器に描かれた絵画をもとに推定された。

公園の南にある展示施設「唐古・鍵考古学ミュージアム」も6月、リニューアルした。「展示のコンセプトを見直し、遺物がもつ弥生の美を美術館のように見てもらえるよう工夫した」と藤田さんは語る。

目を引くのは土器に線刻された多様な絵画。唐古・鍵と周辺では全国でも他に例がない数の絵画土器が発見されている。楼閣や高床倉庫、頭に羽飾りを付け祭祀(さいし)を執り行う男女のシャーマン、シカや魚などが描かれ、儀式に用いられたと考えられている。

6月に改修され展示手法を一新した唐古・鍵考古学ミュージアム

6月に改修され展示手法を一新した唐古・鍵考古学ミュージアム

不思議な遺物も展示されている。褐鉄鉱(粘土の周囲に鉄分が固着した鉱物)で作った容器と、中に収めてあった翡翠(ひすい)の勾玉(まがたま)だ。古代中国では褐鉄鉱内の粘土を薬と考えたが、こうした思想を唐古の人々が知っていた可能性がありそうだ。

■東西文化を結節

唐古・鍵の集落には木製品や石器、金属器など様々な工房が集まり、生活道具や銅鐸(どうたく)などを作って広い範囲に供給していた形跡があった。東西の文化が行き交う結節点だった姿が浮かび上がる。「出土した遺物はどれも精巧で高品質。集落が700年間も続いたために技術が磨かれ、受け継がれたのでは」と藤田さんは語る。3月、77年以降に出土した遺物のうち1921点が国重要文化財に指定されることが決まった。

公園には大型建物の柱列も復元されている

公園には大型建物の柱列も復元されている

約4キロ離れて纒向遺跡がある。3世紀に突如出現し、当時最大級の大型建物が中心軸をそろえて建てられた謎の集落跡だ。これぞ邪馬台国とにらむ研究者は多く、その誕生に密接に関係したに違いない、と唐古・鍵の存在感が増している。

藤田さんは77年の調査に参加してから40年以上、唐古・鍵遺跡の調査に取り組んできた。「出土した遺物はまだ多くの情報を秘めている。最新の分析手法と知見で研究し直し、学術的な評価を高めたい」と語る。

文 大阪・文化担当 竹内義治

写真 淡嶋健人

《交通》唐古・鍵遺跡史跡公園は近鉄石見駅から徒歩約20分。公園内にあるガイダンス施設「遺構展示情報館」で建物の柱穴遺構が見学できる。無料。楼閣の内部は非公開で上ることはできない。
 唐古・鍵考古学ミュージアムは田原本青垣生涯学習センター内にあり、公園から南へ徒歩約20分。観覧料は大人200円。月曜休館。
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