2018年11月20日(火)

西宮 地名に「園」なぜ多い リゾート・農園の名残(もっと関西)
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コラム(地域)
関西
2018/8/30 11:30
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第100回記念大会で盛り上がった全国高校野球選手権。舞台の阪神甲子園球場まで行く途中、“園"がつく地名の多さに気づく人もいるだろう。甲子園のほかにも阪神線には香櫨(こうろ)園、阪急線には甲陽園、苦楽園、甲東園――。実際、甲子園がある兵庫県西宮市エリアには7つある園を総称し、「西宮七園」との呼び名もある。国語辞書で「行楽用の庭」や「畑」を意味する園がつく地名がなぜこんなに多いのか。

まずは知名度が高い甲子園から。球場が完成した1924年が60ある干支(えと)の最初で縁起がいい甲子(きのえね)だったため、園とかけあわせて甲子園大運動場と命名されたのは有名だ。この年に全国中等学校(今の高校)優勝野球大会が開かれ、甲子園は全国区になった。

開発主体の阪神電気鉄道は球場に続き遊戯施設や水族館、動物園を併設した阪神パーク(2003年に閉鎖)も建設し、周辺には甲子園の名を冠した高級住宅地の分譲も進めた。「甲子園とは宅地開発による定期旅客と、観光客など定期外旅客を一挙に狙った一大プロジェクトだった」(阪神電鉄広報の堀井健史課長)

1930年には武庫川沿いの甲子園ホテル(現在の武庫川女子大学)が竣工した。米建築家フランク・ロイド・ライトの弟子である遠藤新氏の設計だ。「東の帝国ホテル、西の甲子園ホテル」と並び称され、富裕層の社交場として栄えた。やはり、西宮の元祖“園"は甲子園で、ほかが追随したのだろうか。

香櫨園にあったウオーターシュート(兵庫県西宮市、阪神電鉄提供)

香櫨園にあったウオーターシュート(兵庫県西宮市、阪神電鉄提供)

「それは違う」と指摘するのは西宮市情報公開課の歴史資料チームの豊田みかさんだ。「甲子園以前にも香櫨園の名前が知られていた」。香櫨園とは1907年に開業した遊園地だ。今も阪神線の駅名として残るが、もともとは今の阪急線夙川駅近くにあった。出資者の香野蔵治氏や櫨山喜一氏が名前の由来で、園をくっつけた。

約10万坪(約33万平方メートル)の敷地内にはホテルが整備され、動物園にはゾウや虎もいた。高台から池に滑り降りるウオーターシュートと呼ぶ絶叫マシンもあったという。当時は「お金持ちの大人や子供が集まる、あこがれの社交場だった」(豊田さん)。だが経営難からすぐに閉園。いまは跡地は閑静な住宅街となっている。

香櫨園にあった「ウオーターシュート」周辺は今は宅地になっている(兵庫県西宮市)

香櫨園にあった「ウオーターシュート」周辺は今は宅地になっている(兵庫県西宮市)

阪急線にある甲陽園と苦楽園も、鉄道開通前から行楽地だった。甲陽園には大正時代に遊園地や旅館が、苦楽園には明治後期に温泉がそれぞれあったとされる。関西学院の誘致など阪急電鉄が主体的に発展に関わった甲東園も地名は同地にあった農園が由来だ。どの駅も「阪急が命名した地名ではない」(広報部の稲荷英樹課長)。

このように園の地名は意味する通り、もとは娯楽場所や畑に起因するようだ。ただ、多くは鉄道敷設などを契機に住宅街へと軸足を移していく。大阪府立大の橋爪紳也教授は「大阪都市部の急速な工業化がもたらした環境悪化と人口爆発が、大正期から昭和初期の急速な郊外化をもたらした」と説明する。

園の地名が近隣に増えると、あやかる動きも出てくる。阪急線西宮北口駅近くの甲風園と昭和園の2園は1930年前後に最初から宅地として分譲された。

西宮七園の呼称は園のつく地域が住宅街として価値が高まる過程で、「物件を買い手に薦めるために不動産業者が生み出した売り文句ではないか」と、豊田さんは推測する。西宮の7つの園の成り立ちはそれぞれだが、園の多さは明治以降、阪神間に花開いたモダンな行楽文化や生活様式の断片を今に伝えている。(大阪経済部 中村元)

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