和洋折衷、愛され100年 新八日市駅舎(もっと関西)
時の回廊

2018/8/29 11:30
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滋賀県東部の田園地帯を走る近江鉄道の新八日市駅(東近江市)は1922年(大正11年)に建てられた。木造2階建ての駅舎は100年近くたった今も現役だ。薄緑色の板張りの外壁は傷みも目立つが、ツタが覆う風情が地域住民や鉄道ファンの心をとらえる。

■建物の大半閉鎖

シンプルな直方体の駅舎は板材を横に張った西洋風の外壁の上に、瓦ぶき屋根を載せる。この和洋折衷のスタイルは明治以降に流行したという。老朽化により建物の大半は閉鎖され、今は1階の半分が待合室に使われている。平日の朝と夕方のみ駅員が立ち、1日に通勤・通学客ら約1000人が乗降する。

入り口の柱を斜めに支える材にも簡素な装飾がみえる

入り口の柱を斜めに支える材にも簡素な装飾がみえる

この駅舎が人々をひき付けるのはなぜだろうか。立命館大学の青柳憲昌准教授(建築史)は2階に並ぶ西洋式の上げ下げ窓に注目する。「縦長の窓が外壁の縦方向を意識させ、見る者に建物の高さを感じさせる」という。「軒先の飾り板などもシンプルで、全体のバランスやボリューム感がまとまっている。多くの人に愛されるように意図されたデザイン」と指摘する。

建てられた時期は近江ゆかりの建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズが活躍した頃と重なる。だが、専門家によるとヴォーリズは駅舎を手掛けた例がなく、鉄道技師による設計の可能性が高い。建築史的な価値というより、近代化を象徴する遺産としての意味が大きい。

八日市は近江と伊勢をつなぐ八風(はっぷう)街道などが通る要衝で、古くから交易の拠点だった。1913年(大正2年)、かつての湖南鉄道が八日市と近江八幡を結ぶ路線を敷き、「八日市口駅」として開業したのが始まりだ。運行する鉄道会社は相次ぐ再編により、琵琶湖鉄道汽船、八日市鉄道、近江鉄道と移り変わった。

通勤・通学客らが利用する

通勤・通学客らが利用する

当初の駅舎は2階に湖南鉄道本社が入り、1階に特等客の待合室もあった。湖東内陸部の繁栄とともに、近くの飛行場への往来でにぎわったことがうかがえる。駅周辺に残る広いスペースは肥料置き場として使われたもので、貨物輸送の拠点だった記憶を伝える。

今年、開業120年を迎えた近江鉄道は鉄道事業の営業赤字が1994年度から24期続く。輸送人員は下げ止まったが、車両などの老朽化に対する設備投資が膨らんでいるのが原因だ。駅舎は数年のうちに大きな改修が必要な状態だが、「自社だけでは難しい」(同社)。

■観光拠点も視野

地元の東近江市が観光拠点としての活用を探り始めた。「駅舎は住民に親しまれるとともに地域の風景をつくってきた」(交通政策課)との思いからだ。市は2019年度に耐震補強・外観補修を含めた改修の構想を持つ。観光ボランティア拠点、物販・飲食店などの併設が課題となる。1億円以上と見込む改修費の調達には、クラウドファンディングの活用も検討する。

東京駅丸の内駅舎保存復原工事の設計総責任者を務めた京都工芸繊維大学の田原幸夫特任教授は「綿密な調査をもとに、駅として100年あり続けた価値を理解して手を入れるべきだ」と、安易な雰囲気づくりを戒める。

日本各地に張り巡らされた鉄道網はモータリゼーションや地方経済の疲弊で縮小し、玄関口だった駅舎も姿を消しつつある。地域を見つめてきた駅舎を残すことは、歴史の語り部を次代に引き継ぐことになる。

文 大阪地方部 木下修臣

写真 大岡敦

《交通》JR琵琶湖線・近江八幡駅で近江鉄道万葉あかね線に乗り換えて16分。
《ガイド》近江鉄道は1本のレールの長さが25メートルと通常より短く、走行中に継ぎ目で頻繁に音がするため、「ガチャ」「ガチャコン」の愛称で親しまれる。
 新八日市駅近くには、「天空のパワースポット」ともいわれる阿賀神社(太郎坊宮)がある。
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