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異色の義母に涙 「ぎぼむす」が描く新たな親子像

家族ドラマに歴史あり!(1)

原作は桜沢鈴の4コマ漫画。笑って泣けるエッセンスが凝縮されている

TBSの連続ドラマ「義母と娘のブルース」が平均二桁視聴率と好調だ。物語は、数年前に妻を亡くした良一(竹野内豊)の一人娘・みゆき(横溝菜帆)の前に、大企業の営業部長であり、みゆきの新しい義母になる亜希子(綾瀬はるか)が現れる。

再婚する2人の馴れそめもプロポーズもすっ飛ばして、いきなり義母と娘の出会いから始まるのが、同ドラマの特色である。家族ドラマだけど、色々と謎の部分も多い。それは物語が進むにつれ、徐々に明らかになる。

原作は桜沢鈴さんの4コマ漫画。笑って泣けるエッセンスが凝縮されており、原作と連ドラ、どちらも素晴らしい。

正直、家族ドラマは過去に様々なパターンがやり尽くされた感があったが、2009年という設定や、高校生に成長したみゆき(上白石萌歌)の回想ナレーションから始まる仕掛けに引き込まれ、その先(現代)を見たくなった。ストーリーテリングにたけた21世紀流の家族ドラマである。

故きを温ねて新しきを知る―。同ドラマをもっと面白くみるため、「家族ドラマ」の歴史をひもときたいと思う。

テレビ前史に存在した家族ドラマ

意外に思われるかもしれないが、日本初のテレビドラマは、家族ドラマだった。それもテレビ局が開局するはるか前、戦前の話である。時に、太平洋戦争を翌年に控えた1940年4月。日本のテレビの父こと高柳健次郎博士(世界で初めてブラウン管に「イ」の文字を映し出した人)の提案で、NHKで日本初のテレビドラマの実験放送が行われることになった。東京・砧にある放送技術研究所のスタジオで撮影し(生放送である)、それを内幸町の東京放送会館や、上野の産業会館に設置された受像機に送るという。

高柳健次郎氏と世界初のブラウン管テレビ

ドラマのタイトルは「夕餉(ゆうげ)前」。脚本はラジオドラマ「ほがらか日記」などを手掛ける伊馬鵜平(のちの伊馬春部)が担当し、キャストには新協劇団の源泉、野々村潔、関志保子の3人が選ばれた。母・息子・娘の3人家族の一幕劇で、娘の縁談がまとまり、明日から嫁ぐことになった夕食前のひと時を描いたものである。

正味12分間の生放送はNGもなく、無事に終わったが、思わぬアクシデントが起きる。時の逓信大臣、田辺治通が放送会館に到着するのが遅れ、本番を観覧できなかったので再演してほしいという。だが、当時の照明は強烈に熱く、控室に引き揚げたばかりの出演者たちは汗だくで、髪は今にも焦げそうだった。とはいえ、放送行政のトップの命令には逆らえない。

結局、日本初のテレビドラマは、その日のうちに再放送が行われたのである。

日本人が憧れた米国のホームドラマ

『パパは何でも知っている』のキャスト(AP)

話はそれから一気に戦後に飛ぶ。1953年にNHKと日本テレビの2つのテレビ局が開局すると、いよいよ日本のテレビ時代が幕を開けた。しかし、黎明(れいめい)期の日本のテレビ界は番組の供給が追い付かず、アメリカからドラマを輸入しては、よく放送していたという。中でも人気を博したのが、ホームドラマだった。ホームドラマとはある一家が舞台で、ささいな日常を明るく、コミカルに描いたシットコムである。「パパは何でも知っている」(日テレ系)、「うちのママは世界一」(フジ系→TBS系)、「パパ大好き」(フジ系)、「アイ・ラブ・ルーシー」(NHK→フジ系)、「じゃじゃ馬億万長者」(日テレ系)、「奥さまは魔女」(TBS系)、「ニューヨーク・パパ」(フジ系)など、リアルタイムでなくとも、再放送やDVDなどでご覧になられた方も多いだろう。

当時、日本の視聴者はこれらのホームドラマを見て、アメリカの裕福な暮らしに憧れた。大きな冷蔵庫、モダンなキッチン、広いリビング、そして自家用車。劇中にはアッパーミドルな白人しか登場せず、人々は皆、明るく陽気だった。まだアメリカで公民権運動やベトナム戦争が泥沼化する前の時代である。

一説には、これらのホームドラマは、アメリカ政府による日本の親米化教育の一環で、戦略的に破格の安値で提供されたと言われる。事実、戦後の日本人は急速にアメリカナイズされていった。

日本のホームドラマの夜明け

さて、日本のドラマ作りも徐々に進化し、アメリカのドラマに引けを取らない人気を得るようになった。

1960年代半ば、日本のドラマ界にもホームドラマの波が押し寄せる。小市民的平和な暮らしを明るく描いたホームドラマは子どもからお年寄りまで一家そろって楽しめ、視聴率も高く、スポンサーにとっても魅力的なコンテンツだった。その扉を開けたのは、TBSの2つのドラマだった。

一つは森繁久彌主演の「七人の孫」、もう一つは山村聰主演の「ただいま11人」である。いずれも放送開始は1964年。大家族のほのぼのとした日常を描いた点でも共通していた。前者は脚本家の向田邦子や演出家の久世光彦を輩出し、後者は石井ふく子プロデュースのもと、脚本家・橋田壽賀子の出世作となった。

70年代前半はホームドラマ全盛期

そして、時代は70年代に入り、いよいよ空前のホームドラマブームが訪れる。その中心にいたのが、民放ドラマ史上最高視聴率を記録したTBSの「ありがとう」である。この記録は、今もなお破られていない。プロデュースは前述の石井ふく子、脚本は平岩弓枝である。

同ドラマ、とにかく出演者が豪華だった。主演は、石井ふく子がトイレまで追いかけまわして口説いた水前寺清子。共演に石坂浩二、山岡久乃、長山藍子、児玉清、沢田雅美、奈良岡朋子、佐良直美、岡本信人、井上順、大空真弓、佐野浅夫、新克利、音無美紀子、草笛光子、坂上忍とまあ、とにかく当時の売れっ子たちが一堂に集結した。毎回、彼らの近況を一通りなぞるだけで、1時間が過ぎたものだった。

時代は高度経済成長期。ドラマは時代の鏡というが、平和で明るい時代を反映して、ドラマも平穏そのものだった。

指南役
草場滋 メディアプランナー エンターテインメント企画集団「指南役」代表。テレビ番組の企画原案、映画の原作協力、雑誌連載の監修などメディアを横断して活動中。「日経エンタテインメント!」誌に連載中の「テレビ証券」は18年目。
『義母と娘のブルース』 (C)TBS (C)桜沢鈴/ぶんか社[plusparavi(プラスパラビ) 2018年8月20日付記事を再構成]

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