戦争犠牲の疎開児童ら追悼 「対馬丸」撃沈74年、沖縄

2018/8/22 12:10 (2018/8/22 13:09更新)
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太平洋戦争後期に沖縄から出港した学童疎開船「対馬丸」が、鹿児島県沖で米潜水艦に撃沈され、学童ら1500人近くが死亡した事件から74年となる22日、那覇市の碑「小桜の塔」で、遺族や生存者らが集まり、慰霊祭が開かれた。

慰霊祭で黙とうする遺族や生存者ら(22日午前、那覇市)=共同

対馬丸は1944年8月21日、長崎に向けて那覇港を出港。翌22日、鹿児島県・トカラ列島の悪石島沖で、米海軍潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受けて沈没した。

慰霊祭には約400人が出席し黙とう。自身も乗船し、家族9人を亡くした対馬丸記念会の高良政勝理事長(78)は「灼熱(しゃくねつ)の中、蒸し返るような船室で魚雷を受け、台風が接近し荒れ狂う海に投げ出された皆さまを思うと、戦争の愚かさ、無意味さを感じる」とあいさつした。

毎年参列しているという米国在住のマリア宮城・バートラフさん(87)は、親族5人と乗船し弟ら3人を失った。「命がどれだけ大事か、身に染みて分かる。永遠に戦争がなくなってほしい」と語った。

対馬丸記念会によると、国民学校の学童や教員、一般疎開者ら1788人が乗船したとされる。現時点で把握できている犠牲者数は1482人。〔共同〕

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