2019年5月24日(金)

「戦後」画した署名の舞台 奈良知事公舎・御認証の間(もっと関西)
時の回廊

コラム(地域)
2018/8/22 11:30
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奈良公園西部の一角に、趣のある入り母屋造りの屋根を持つ大正期の日本建築がある。奈良県知事公舎だ。表門をよく見ると、現職の荒井正吾知事の名字「荒井」の表札がかかる。この公舎には、日本の戦後の針路を決定付けた歴史の舞台になった部屋があるという。

■和洋の造作融合

知事公舎の「御認証の間」。昭和天皇がサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約の批准書にサインした

知事公舎の「御認証の間」。昭和天皇がサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約の批准書にサインした

知事公舎は建築面積671.48平方メートルの平屋。全部で13室あり、洋間が2室で他はほとんどが和室だ。玄関を入って左手の廊下をまっすぐ歩くと、20平方メートル程度の小さな洋間に行き着く。この部屋が独立回復につながるサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約の批准書に昭和天皇が署名した部屋なのだ。入り口に「御認証の間」などと記した銅板プレートがかかる。

「御認証の間」は一見モダンな応接間だ。天井からチューリップ型のランプが2つ下がり、窓際には傘型スタンドライトが立つ。中央にはベージュのクロスの丸テーブルがあり、その周りには肘掛け椅子が5脚並ぶ。天井は木製の格(ごう)天井で壁面は土壁に鴨居(かもい)という和の造作もある。設計者は不明だが、和洋両方の知識を持った経験豊かな建築家だったに違いない。

緑豊かな奈良公園内にある奈良県知事公舎。左奥に若草山が見える

緑豊かな奈良公園内にある奈良県知事公舎。左奥に若草山が見える

1951年11月18日。参議院本会議では、衆議院に続いて2条約が承認された。吉田茂首相は会議後に批准書にサインした。だが、認証には憲法の規定で天皇の署名が欠かせない。このため剱木(けんのき)亨弘(としひろ)官房副長官が急ぎ昭和天皇の元へ。当時奈良で巡幸中だったため、翌19日の夕刻に宿舎の知事公舎で待ち構えた。午後4時42分、昭和天皇が帰宅。天皇は侍従長だけを伴って部屋に入り「裕仁」とサインしたという。2条約の批准書は米国への寄託を経て52年4月に発効する。

昭和天皇は一体どんな思いで署名したのか。「気持ちよくサインされたと思う。巡幸で国民と触れ合い、国民と一緒に新しい日本をつくりたい思いだっただろう」というのは日本政治外交史が専門の学習院大学学長の井上寿一氏。「昭和天皇実録、独白録など一連の資料を読み解くと、昭和天皇が講和を急ぎ、早期の独立回復を望んだことははっきりしている」と指摘する。

46年以降、日本は米国などとの単独講和派とソ連や中華民国なども含めた全面講和派が対立した。吉田茂首相は単独講和を主張したが、貴族院議員だった東京帝大の南原繁総長らが全面講和を唱えた。世論調査では単独講和支持が多かったこともあり、政府が押し切った。日本は講和をテコに高度経済成長につなげた。

■顕彰施設に刷新

奈良県はこうした歴史を顕彰するため、公舎と公舎東にある日本庭園の吉城園周辺を観光施設にする方針だ。2020年春の開業を目指す。公舎は外観を保ったままレストランに改装。御認証の間はそのまま残し、関連書籍を備えたライブラリーになる見通しだ。

ザ・ベルリン・ウォール・メモリアル、マレーシアの独立宣言記念館……。現代史の舞台を観光施設にする例は世界的には珍しくない。「インドネシアはバンドン会議の会場をしっかり保存している。追体験できる場があれば歴史のつながりを実感できる」(井上氏)

公舎では9月に耐震調査が始まり「荒井」の表札も外される。2017年5月まで約10年間公舎に住んだ荒井知事は感慨深げな様子。「古代に天皇が国を開いた奈良での署名は不思議な巡り合わせ。海外に門戸が開かれた1300年前の平城宮跡などと連携した見せ方も考えたい」と話す。

文 大阪社会部 浜部貴司

写真 大岡敦

《交通・ガイド》近鉄奈良駅から東へ徒歩約15分。メディアの取材などを除き非公開。県が2020年春の開業を目指して進める保存管理・活用事業で周辺が整備されれば常時公開される見通しだ。周辺は景勝地で南に興福寺の子院だった旧世尊院、東に日本庭園の吉城園がある。吉城園は主棟、離れなどが県の有形文化財に指定されている。

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