2019年7月23日(火)

「島のコーヒー」守り抜く 小笠原、戦争乗り越え栽培

2018/8/17 12:02
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日本で初めてコーヒーの木を栽培したとされる小笠原諸島(東京都小笠原村)の父島に、戦争で廃れたコーヒー栽培を続ける親子がいる。戦時中の強制疎開で一度は無人になり、荒れ果てた農地に残された木が歴史をつないだ。今年小笠原は返還から50年。「コーヒーは島が家族が生き抜いてきた証し」。激動の道を歩んだ「島のコーヒー」を守り続ける。

農園で栽培するコーヒーの木を見る野瀬もとみさん(6月、東京都小笠原村の父島)=共同

父島の山の中、木々が生い茂る森のような農園に、高さ2メートルほどのコーヒーの木が約1200本並ぶ。中には実がなり、赤く色づき始めているものも。「あちこちにあるので毎日少しずつ、世話をしています」。栽培を手掛ける「野瀬農園」の野瀬もとみさん(49)が説明する。

全日本コーヒー協会(東京)によると、コーヒーは主にアフリカや中南米で生産されており、緯度が赤道から南北にそれぞれ25度の間は、栽培に適した「コーヒーベルト」と呼ばれる。

現在国内で栽培しているのは、コーヒーベルトから少し外れる小笠原諸島のほか、長崎、宮崎、鹿児島、沖縄の4県。小笠原では1878年にコーヒーを栽培したとの記録が残り、国内初の土地とされる。

野瀬さんの先祖は明治時代に父島に移住し、農業を始めコーヒー栽培に取り組んだ。しかし、小笠原は1944年、太平洋戦争の影響で全島民が強制疎開となり、父昭雄さん(83)も10歳で関東地方に移った。戦後、父島は米国の施政権下に置かれ、農園は20年以上手つかずの状態になった。

68年、小笠原は日本に返還。5年後、昭雄さんは父島に戻った。ジャングルのようになった土地を耕していた時に偶然、野生化したコーヒーの木を見つけ、栽培に取り組むようになった。「あるじを待っていてくれたのだと思う」ともとみさん。自身は本土で生まれ育ったが、29歳の時に移住して昭雄さんの農園を手伝うようになった。

1年で収穫できる豆は約200キロ。都内や横浜のカフェでも数量限定だが飲むことができ「やさしい味」と評判だ。島ではコーヒーの魅力を知ってもらうため、観光客に収穫から試飲までを体験してもらうツアーも展開する。もとみさんは「先祖から受け継いだコーヒーを途切れさせず、島の歴史を大切にしてくれる人につなぐのが私の使命」とほほ笑んだ。

〔共同〕

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