2018年11月17日(土)

「戦争のない世の中を」 陛下の願い、次代に引き継ぐ

2018/8/15 20:34
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「平成」を通じて戦没者の慰霊の旅を続けてこられた天皇陛下。最後の出席となった15日の全国戦没者追悼式でのお言葉に、各地で交流のあった人々は改めて平和を誓った。「世界中で戦争のない世の中を」。悲惨な記憶を次世代に伝える取り組みは時代が変わっても続く。

全国戦没者追悼式で黙とうする参列者(15日正午)

東京大空襲を受けた川は死体であふれ、街は凄惨な景色をさらしていた。東京都江東区の石井清子さん(86)は「真っ黒に焦げた幼い子が手を合わせて死んでいたのが忘れられないんです」と振り返る。

2012年に天皇、皇后両陛下との懇談会でこうした経験を話した。陛下は親身になって聞いた後、「今の話を後世にも伝えてください」と述べられたという。それ以来、携わっているバレエ団の公演などを通じ交流がある小学生らに折に触れ、体験を話している。

15日の陛下のお言葉には「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」とあった。国連職員の娘は紛争の続くシリアで働いている。石井さんは「日本は平和だったが、世界を見るとそうではない」と表情を曇らせた。

対馬丸記念会(那覇市)の高良政勝理事長(78)は1944年8月、米軍潜水艦に撃沈され1500人近くが犠牲となった学童疎開船「対馬丸」に4歳で乗り込んだ。自身は生き延びたが、親族9人を失った。

2014年6月、高良さんら対馬丸の生存者や遺族と面会した陛下は「(本を)読むだけでは分かりませんね」と予定時間を大幅に超え、熱心に耳を傾けられた。

高良さんは「戦争で多くの家族を亡くし、『天皇』に対してあまり良い感じはなかった」と明かす。だが沖縄に何度も通い、犠牲者に哀悼の意をささげ続けられる陛下の姿を見て印象が変わったという。

広島平和記念資料館(原爆資料館)の元館長、原田浩さん(79)は15日、「自分も悲惨な体験を語り継いでいかなければ」と決意を新たにした。

1995年5月、広島市を訪れた陛下を原爆資料館に案内した。6歳での被爆体験を話したとき、それまで展示物を見ていた陛下に真剣なまなざしで見つめられた。「被爆体験をご自身のものとして受け止めようとされている」と感じた。

多いときで月に15回ほどある講演は年齢的に厳しくなってきた。だが「二度と惨禍が起きないよう、体験を若い世代に伝えるのが役目」と自分に言い聞かせている。

長崎被爆者手帳友愛会の中島正徳会長代行(88)は15歳で被爆。母と4人の弟や妹を失い、数日間かけて5人の遺体を畑で火葬した。

陛下と面会したのは2014年。長崎市平和公園で中島さんらと言葉を交わした陛下は優しい口調で被爆者の体調を気遣われたという。

中島さんは平成最後となる「終戦の日」を迎えた15日、「戦争はまかりならん。世界中で戦争のない平和な世の中をつくってほしい」と次の世代に訴えた。

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