2018年9月21日(金)

平成最後の「8.15」に聞く 忘れぬため、何をすべきか
半藤一利氏、佐藤卓己氏、鈴木洋仁氏、羽毛田信吾氏

天皇退位
2018/8/15 6:00
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 日本人にとって8月15日は第2次世界大戦で失われた多くの犠牲者を悼み、平和を願う日であり続けた。戦後生まれが人口の大半を占め、戦争の記憶が失われていく時代。「8.15」の意味を空虚なものにしないために何が求められるのだろうか。平成最後の終戦記念日にあたり、4人の有識者に聞いた。

追悼式 にじむ陛下の思い  作家 半藤一利氏

半藤一利氏

半藤一利氏

 ――天皇陛下が全国戦没者追悼式に出席されるのは、今年が在位中最後です。

 戦争を体験した人間からすると、同世代の天皇陛下が退位されることで、もう我々の時代は本当に終わるのかなという若干の感慨はある。

 即位されたばかりの頃は、天皇陛下を「頼りない」などと言う人もいたが、陛下は皇后さまとともに30年かけて、象徴天皇とはこういうものだという形を自分でつくってこられた。

 陛下は即位後の儀式で「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たす」と述べられている。当時、「皆さん」という言葉に、象徴天皇として国民と共にいかに国をつくっていくかという決意を感じた。戦地や被災地などへの訪問を絶え間なく続けられ、その「責務」は十全に果たされたと思う。陛下の思いが最も表れているのが、8月15日の全国戦没者追悼式ではないだろうか。

 ――追悼式でのお言葉から陛下のどのような思いを感じますか。

 1992年のお言葉では、それまでの「深い悲しみ」という言葉が「つきることのない悲しみ」と言い換えられ、94年には「尊い命」が「かけがえのない命」と変化した。2001年には「感慨は今なお尽きることがありません」というように、「今なお」という言葉が付け加えられている。

 表現が強まったのは、戦争について知れば知るほど、その結果に対する思いが深まったということだろう。陛下は自ら歴史を学び、国内外の激戦地に足を運ばれてきた。戦争の悲惨さや無残さ、非人間性に対する反省がおありなのだと思う。

 ――戦争との向き合い方は、昭和天皇とも違いますか。

 昭和天皇は在位60年記念式典の写真をよく見ると、涙を流されている。戦後40年もたった頃だ。これを見たとき戦争責任をずっと一人で感じてこられたんだなと痛感した。

 昭和天皇は75年の訪米時に「私が深く悲しみとする、あの不幸な戦争」とスピーチし、帰国後の記者会見でその発言に関連して戦争責任を感じているか質問された。

 「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていない」との回答は批判されたが、その場の即興で答えられるテーマではなく、ああいう言葉でしか言えないつらさがあった。

 昭和天皇はついに象徴天皇になりきれなかったと思う。天皇陛下はそうした昭和天皇の背中を見て、ずいぶん学ばれたのではないか。皇位を受け継ぐことで、天皇の名の下で国を滅ぼすようなことをしたという責任も同時に背負うことになった。その責任の重さは、昭和天皇以上に強く感じてこられたかもしれない。

 ――代替わりは時代の節目となりますか。

 昭和から平成になった1989年は天安門事件やベルリンの壁崩壊などがあり、世界的には時代の節目だったが、日本はバブルの真っ最中。バブルが崩壊し、阪神大震災やオウム真理教の事件が起きて社会が変わっていくのは、その数年後だ。

 来年の代替わりが直接、時代の空気を変えるとは思わないが、時代は絶えず変化していく。戦没者追悼式を8月15日にやる意味を知らない人も増えている。その時に、象徴としていかにあるべきか。次の天皇陛下もまた、相当なご努力が必要になるかもしれない。

 はんどう・かずとし 東京大文学部を卒業後、文芸春秋入社。「週刊文春」や「文芸春秋」の編集長、同社専務などを経て、作家に。「歴史探偵」を自称し、著書に「日本のいちばん長い日」「ノモンハンの夏」など。東京都出身。88歳。

■終戦の日とは 問い直す  京都大教授 佐藤卓己氏

佐藤卓己氏

佐藤卓己氏

 ――著書で「終戦」は8月15日ではないと指摘しています。

 8月15日は昭和天皇が「玉音放送」で国民に終戦を伝えた日だが、戦闘行為はまだ続いていた。公式には日本政府が降伏文書に署名した9月2日に終戦したと考えるべきで、多くの国がこの日を終戦の日としている。

 ――日本ではなぜ8月15日が定着したのですか。

 8月15日に戦没者を追悼する行事は、必ずしも戦後に始まったものではない。1939年ごろから、お盆に祖霊を供養する仏教行事の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と、戦没者を弔う「英霊祭祀(さいし)」とが結びついた「戦没英霊盂蘭盆会法要」が各地の寺で行われ、ラジオでも全国中継されていた。

 戦没者を弔う日として、月遅れ盆の8月15日と玉音放送を抱き合わせる発想は、国民感情として一定の合理性があった。ただ、玉音放送を全国民が一斉に聞けたというイメージは、戦後の報道によって作られたものだ。

 ――昭和天皇は8月15日とどう向き合ってきたのでしょうか。

 日本政府が降伏文書に調印した翌日の1945年9月3日、昭和天皇は皇居・宮中三殿で戦争終結を歴代天皇に報告する儀式を行っている。昭和天皇が8月15日を終戦の日と考えていなかったことは明らかだろう。

 一方で、玉音放送はラジオを通じてであれ、国民と直接コミュニケーションをしたという意味で、戦後の象徴天皇のイメージにふさわしいものだった。その8月15日に国民を代表して戦没者を慰霊することは、象徴天皇の役割として重要だと考えていたのではないか。

 ――天皇陛下は自ら戦地への「慰霊の旅」を重ね、戦争犠牲者に心を寄せられてきました。

 陛下は昭和天皇から国民統合の象徴としての立場を引き継ぎつつ、その意味をより深められた。「忘れてはならない4つの日」として、終戦記念日のほか、沖縄慰霊の日や、広島と長崎に原爆が投下された日も大切にされてきた。いずれも多くの国民の心情に沿うもので、民意と共にあろうとする強い意思を感じる。

 ――来年、戦後生まれの皇太子さまが新天皇に即位されます。

 新天皇も8月15日を重要な日と位置づけ、国民とともに戦争を想起するシンボリックな日であり続けるだろう。天皇自身に戦争経験があるかどうかは関係なく、代替わりによって8月15日の意味合いが変わることはないと思う。

 ただ、全国戦没者追悼式では天皇陛下のお言葉の前に首相が式辞を述べるなど、政治的なセレモニーとなっている面もある。代替わりを機に、8月15日は純粋な祈りの場とすべきで、政治が関与するのは本来の終戦の日である9月2日に行う方が国際的にも望ましいのではないか。

 また、新天皇の在位中には戦争体験者が激減し、「先の戦争」という言葉が太平洋戦争だけを指さなくなる。8月15日が、日清・日露戦争や第1次世界大戦など、過去の多くの戦争犠牲者を対象とする追悼の日に変わっていく可能性はある。

 8月15日は知っていても、戦争がいつ始まったか問われて、12月8日と即答できる日本人がどれだけいるだろうか。8月15日の意味を問い直すことは日本人が戦後、どのように戦争と向き合ってきたかを考える契機になる。

 さとう・たくみ 京都大大学院修了後、東京大新聞研究所助手、国際日本文化研究センター助教授などを経て現職。専門はメディア史、社会教育学。著書に「八月十五日の神話―終戦記念日のメディア学」など。広島県出身。57歳。

時代移っても「戦後」は続く  事業構想大学院大准教授 鈴木洋仁氏

鈴木洋仁氏

鈴木洋仁氏

 ――「8月15日」は日本人にとってどんな意味を持ってきたのでしょうか。

 1945年8月15日は「戦後元年」の初日。日本人は敗戦ほど強烈な経験を持っていない。多くの人々が亡くなり、憲法をはじめとする国の体制が激変した。この経験を超える出来事は戦後70年以上たっても起きていない。

 昭和20年に始まった「戦後」という時代は平成という時代を貫通し、さらにポスト平成時代も続くことになるだろう。強いて言えば日本が次の戦争を経験しないかぎりは「戦後」が続くわけで、日本人の歴史にとっては昭和や平成といった元号より分かりやすい時代区分といえるかもしれない。

 ――年月の経過とともに終戦記念日に対する人々の意識はどのように変化しましたか。

 かつては祖父母が孫に自身の戦争体験を伝え、記憶を継承してきたが、今や70歳を超えた祖父母世代も戦後生まれという時代。戦後50年ぐらいまでは「8月15日」の認識に世代間のギャップがみられた。戦争の直接の記憶が失われた結果、今日では世代間の意識の差はなくなってきた。

 終戦を記憶している80代、90代の人でさえ、玉音放送の記憶より、テレビ番組や新聞記事などを通じて間接的に体験する敗戦の記憶の方が、色濃く意識にすり込まれているのではないだろうか。

 戦後、日本人は戦争を絶対悪と捉え、反戦という点では価値観を共有してきた。毎年8月になると、映画やドラマはこの日を時代の切れ目として描き、反戦・平和のメッセージ一色となる。そこには異論を差し挟む余地はなく、戦後が始まった特別な日に対する意識はほぼ全世代で均質化してきたともいえる。

 ――直接の戦争の記憶が失われ、均質化が進むとどうなりますか。

 人々は8月15日が巡ってくるたびに戦後から始まった反戦の誓いを忘れてはならないと確認する。その一方で、現実感を持って戦争の犠牲者を悼む気持ちはどうしても薄れていく。

 かつてのようにお盆を田舎で迎え、年長者から戦争の話を聞くといった過ごし方ができなくなってきたことも、リアリティーの喪失に拍車を掛けている。8月15日は時代に沿った新たな意味が見いだされることもなく形骸化した単なる記念日として定着することになってしまうかもしれない。

 ――30年続いた平成の終戦記念日は今年で最後です。

 右肩上がりで戦後復興を成し遂げた昭和期、8月15日は弔いの日であると同時に明るい未来をイメージして時代を語る起点でもあった。

 経済が成熟し、長く景気低迷が続いた平成期に入ると、そうした意味合いで終戦の日を語ることは難しくなった。また、社会は将来への展望が開けているからこそ、過去の反省を生かそうとする。その展望が見えにくい今日、プラス面でもマイナス面でも過去を語ることの意味を見いだしにくくなっている。

 昭和との間に平成を挟む次の時代はこの傾向がさらに強まり、8月15日の形骸化がさらに進行するだろう。皇太子さまは、陛下と同じ姿勢で戦没者追悼に臨むことを国民から求められるはずだ。

 新たな象徴として国民との関係を築きながら、薄れていく戦争の記憶と向き合い、終戦の日に意味を持たせ続けるという課題に直面されることになる。

 すずき・ひろひと 2017年、東京大大学院学際情報学府博士課程修了。04年に京都大総合人間学部卒。東京大総合教育研究センター特任助教などを経て現職。専門は歴史社会学。著書に「『元号』と戦後日本」など。東京都出身。38歳。

■歴史に学び風化させぬ努力  元宮内庁長官 羽毛田信吾氏

羽毛田信吾氏

羽毛田信吾氏

 ――天皇陛下は8月15日、戦没者への祈りを欠かしたことがありません。

 お仕えしていて、時を経て戦争の記憶が風化することへの陛下のご心配には、ひとかたならぬものを感じていた。それは様々な行事で述べられるお言葉にも表れている。また、国内外への慰霊の旅でも慰霊と同時に戦争の悲惨さを忘れてはならない、平和の尊さを忘れてはならない、という気持ちを自らの行動で示されてきた。

 毎年欠かさず全国戦没者追悼式に出席してきた8月15日には格別な思いをお持ちだ。その根源は使命感や信念だけでなく、人類愛というか、国民の幸せに思いを寄せられるところにあると思う。私は、それが陛下の心の底から自然に湧き出してきているものだと理解している。

 ――何がその姿勢を支えるのでしょうか。

 陛下は敗戦という衝撃を少年期に経験された。だが、単に平和の尊さや戦争の悲惨さを体験として持たれているというだけではないはずだ。先の戦争の歴史について深く考え、象徴天皇として何をなすべきかを長年模索しながら、向き合ってこられたのだと思う。

 戦後60年を迎えた2005年、激戦地となったサイパンを訪問された両陛下にお供したことがある。海外訪問先について、陛下は通常、我々側近にも希望を明らかにされない。しかし、サイパンについては訪れたいという意思を強く示されていた。海に向かって拝礼される陛下の後ろ姿を拝見して感じたのは、亡くなった人々への追悼の思いと同時に、不戦の誓いと平和への願いだった。

 また戦後70年の節目を迎えた15年の新年に当たってのご感想の中で「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」とつづられた。この年は慰霊のためにパラオを訪問されている。陛下は自らの行動を通じて、歴史と向き合い、戦争の悲劇を二度と繰り返してはならない、戦争の記憶を風化させてはいけない、とのお気持ちを真摯に示し続けられてきたと思う。

 ――羽毛田さんは昭和館(東京・千代田)館長として戦時の記憶を次世代に継承する事業に取り組んでいます。

 若い人に伝え続けるには努力と工夫が欠かせない。当館では、実感を持って伝わるように映像資料を駆使するなどして展示方法を工夫したり、戦争経験者のオーラルヒストリーを保存したりする活動に力を入れてきた。

 ――戦争を繰り返さず、平和を享受できた平成を歴史的にどう位置づけますか。

 今年は明治維新から150年の節目の年とされている。先の大戦期間の4年を挟み、維新から1941年の開戦までの73年と戦後73年という折り返しの時期でもある。

 陛下は「歴史に学ぶことが大事だ」という趣旨のことを折に触れて述べてこられた。国民の大半が戦後生まれという時代でも、歴史に学び、平和の尊さが忘れられてはならない、というのが陛下の考え方だ。歴史を持つ我々だからこそ、経験していないことでも歴史から学び取ることができるはずだ。

 「平成」は明治、大正、昭和と続いた近代以降の歴史のなかで、唯一戦争のなかった時期だ。だからこそ、この平成最後の夏は過去の歴史を振り返り平和の大切さを考える時期であってほしいと願う。

 はけた・しんご 1965年、京都大法卒、旧厚生省へ。99年、事務次官。2001年に宮内庁次長として入庁後、05~12年まで長官。退官後は宮内庁参与を務めるとともに、昭和館館長。山口県出身。76歳。

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