2018年11月19日(月)

エジル氏の悲劇なぜ? 独トルコ系、翻弄の半世紀 (グローバルViews)
ベルリン支局 石川潤

グローバルViews
コラム(国際・アジア)
2018/8/16 5:50
保存
共有
印刷
その他

ドイツで生まれ育ったのに、なぜドイツ人として受け入れられないのか――。サッカーのドイツ代表として活躍してきたトルコ系のメスト・エジル選手(29)が7月、自らが受けた「人種差別」を告発し、代表からの引退を表明した。移民統合の成功の象徴とされてきたエジル氏の悲劇はなぜ起きたのか。2015年の難民の大量流入やテロをきっかけにドイツ社会で移民への視線が厳しくなり、トルコ系社会でも「ドイツよりトルコ」に帰属意識を持つ住民が増えている。トルコ人労働者の移民が始まって半世紀、統合の歯車は逆回転しつつある。

エジル選手の代表引退は移民国家ドイツに大きな波紋を広げた

エジル選手の代表引退は移民国家ドイツに大きな波紋を広げた

エジル氏の主張はこうだ。トルコの大統領選挙を前にして現職のエルドアン大統領と写真を撮ったことで批判を浴びたが、政治的な意図はなかった。ワールドカップ(W杯)での1次リーグ敗退後、プレーの内容ではなく、ドイツメディアはトルコ系であることや写真撮影に対する批判を繰り返した。社会に受け入れられず、何か「別のもの」として扱われている。ポーランド系のドイツ代表選手と扱いが異なるのは、トルコ系だからか、ムスリムだからなのか。

「勝てばドイツ人、負ければ移民」

ドイツのトルコ系社会はエジル氏に同情的だ。ベルリンのトルコ系組織で働くアイシェ・デミアさんは「エジル氏は多くのトルコ系が感じ、考えていることを代弁している」と指摘する。エジル氏は「勝てばドイツ人、負ければ移民」と表現したが、同じような経験はトルコ系であれば誰もが経験する。強権的なエルドアン氏との写真撮影に応じたのは批判されるべきだが、やはり強権的なロシアのプーチン大統領と一緒に写真に納まったドイツサッカーの英雄、ローター・マテウス氏はどうなのか。ロシア人の妻を引き合いに「私は半分ロシア人」とご機嫌をとった同氏がほとんど批判されていないのは、あまりに理不尽というわけだ。

14年のW杯優勝でもてはやされながら今回大会の1次リーグ敗退で責任を一身に背負わされたエジル氏は、ドイツのトルコ系社会全体の写し絵ともいえる。トルコ系の起源は、戦後の労働力不足を補うためにドイツ政府が1961年に呼び寄せた「ガスト・アルバイター」にさかのぼる。当初は2年の短期滞在のはずだったが、熟練労働者を手放したくないドイツ企業の意向で滞在が長期化。その後、家族も呼び寄せて300万人近くがドイツで暮らすようになった。ドイツ人がやりたがらない仕事も積極的に引き受けることで重宝されたが、不況で失業率が高まるとネオナチなどの攻撃の的になった。ドイツ社会のご都合主義に振り回されてきた歴史だ。

トルコのエルドアン大統領(右)との写真が騒動のきっかけに=AP

トルコのエルドアン大統領(右)との写真が騒動のきっかけに=AP

ドイツ政府は当初、自らを移民国家と認めず、トルコ系に冷淡だった。やがて移民の増加という現実のなかで統合路線に転じ、ドイツ国籍の取得を認めるなどの改革を進めたが、遅きに失した感は否めない。ベルリン州政府の統合政策の担当者、アンドレアス・ゲルメルスハオゼン氏によると、移民の若者の3分の1が成績優秀で問題なく社会に出て行くが、もう3分の1は社会に出て行く力はあっても「偏見」にさらされがちで、残りの3分の1は社会で自立するのはかなり厳しい状況だという。教育や就職支援に力を入れ続けるしかない。

在独トルコ人がエルドアン氏支持

さらに、15年からの難民の大量流入や相次ぐテロが社会の断絶を深めつつある。白人の友人とともに電車に乗っていても、警官に呼び止められるのはトルコ系の若者だけ。昨年9月の独連邦議会選挙では、移民排斥を唱える極右の「ドイツのための選択肢(AfD)」が第3党に躍り出た。極右AfDのガウラント党首はサッカーのドイツ代表でガーナ出身の父を持つボアテング選手について、サッカー選手としてはよいが近所に住みたいかは別だと話し、物議を醸したことがある。

「悪夢が終わってうれしい。彼はここ数年ひどいプレーをしていた」。独メディアによると、エジル氏の声明を受けてサッカークラブの強豪、バイエルン・ミュンヘンのヘーネス会長はこう言い放った。極右に限らず、社会全体が余裕を失い、人種差別の絡む微妙な問題に節度ある態度をとりにくくなっている面もある。

トルコ系住民も、こんな状況にほとほとうんざりしている。研究機関のZfTIによると、ドイツに住むトルコ出身者の約半数がトルコだけを祖国と感じている。ドイツだけを祖国と感じているのは17%、両方とも祖国だという回答は30%にとどまった。しかも、トルコへの親近感はここ数年高まる傾向にあり、ドイツで生まれ育った若い世代でもトルコへの帰属意識が強い。今年6月のトルコ大統領選挙では、ドイツ在住のトルコ人有権者の64.8%がエルドアン氏に投票した。投票率が低かったことは割り引くべきだが、トルコ全体の50%強と比べて高い数字になった。

AfDのような排外的な勢力が勢いを増し、トルコ系住民はトルコ人としての誇りを強調するエルドアン氏への共感を強める――。野党、緑の党の党首を務めたトルコ系のエズデミル氏は「エルドアン氏を支持することは、AfDと同じように、ドイツの自由民主主義を拒否することだ」と警告するが、その声はどこまで届くのか。

エジル氏の問題が深刻なのは、トルコ系で最も成功した一人で若者への影響力も大きい同氏が、民族的な憎しみの連鎖に絡め取られてしまったことにある。多民族の共生は時間が解決してくれるというような生易しいものではない。人手不足を理由に外国人労働者の受け入れを検討する日本にとっても、ドイツの状況はひとごととはいえない。

今なら有料会員限定記事もすべて無料で読み放題

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ



[PR]

日本経済新聞社の関連サイト

日経IDの関連サイト

日本経済新聞 関連情報