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県民らに衝撃、翁長沖縄知事死去 政府と対立姿勢貫く

(更新)

沖縄県の翁長雄志知事が8日、死去した。この日午後5時に県が「意識混濁に陥った」と公表したばかりだった。4月に膵臓(すいぞう)がんの手術を受け、療養しながらの公務だったが、最近はやせた姿を心配する声が上がっていた。米軍普天間基地移設を巡る国との対立が続く中での突然の訃報。関係者は一様に衝撃を受けるとともに、冥福を祈った。

死去の一報が流れた8日夜、県庁には沈痛な面持ちの県幹部が続々と集まった。謝花喜一郎副知事は午後10時すぎ、報道陣を前に「このような結果になり残念で仕方ない。ご冥福を心からお祈りする」と涙ぐみながら語った。対面した遺体の様子は「安らかだった」という。

知事を支えてきた経済界の幹部は「沖縄のために死ねるなら本望だと、知事は2期目を考えていた。無念だ」と肩を落とした。

翁長氏は那覇市生まれ。法政大を卒業後、1985年の那覇市議選で初当選した。県議や那覇市長を歴任し、自民県連幹事長も務めたが、普天間基地移設反対を掲げ「保守と革新の対立を乗り越える」と訴えて知事に転身した。

国と鋭く対立したが、今年に入ってからは名護市長選などの首長選で、自身が支援する候補が相次ぎ敗北。政治的に追い込まれる中、7月には前知事による名護市辺野古の埋め立て承認の撤回を表明していた。

米軍キャンプ・シュワブ前で基地移設への抗議活動を続ける那覇市在住の長堂登志子さん(68)は「厳しいとは思っていたが、本当にあっという間だった」。7月27日に知事自ら会見して埋め立て承認の撤回を表明したことに触れ「体調がだいぶ悪かったのに、最後の最後までよく頑張ってくれた」とねぎらった。

那覇市の70代女性は、8日の抗議活動を終えた後、翁長知事の病状悪化を伝える速報を受け取った。それから3時間もたたないうちの訃報に「急に逝ってしまった。何とか回復してほしいと信じていたが……」と声を落とした。

「急なことでびっくりした」。辺野古の意思決定に関わる行政委員会の島袋権勇委員長(70)も絶句した。島袋さんの住む辺野古地区は基地移設を条件付きで容認し、移設反対を貫いた翁長氏とは政治的には異なる立場だったが「志半ばだっただろう。本人も残念だと思う」と冥福を祈った。

島袋さんは「知事として走り続けた精神的負担は察するにあまりある。どんな意見を持っていても、自分の立場を貫いた沖縄の政治家が亡くなったというのは本当に残念。お疲れさまでしたと言いたい」と話した。

辺野古商工社交業組合の元会長、飯田昭弘さん(70)も「民意を背負い、先頭に立つ姿勢は素晴らしかった。お悔やみの言葉しかない」と悼んだ。一方で、今後については「20年以上、地元は翻弄されてきた。もう(国と県の対立を)長引かせないでほしい」とも漏らした。

関係者によると、翁長氏は昨年末、普段は見ないというNHKの紅白歌合戦を見たという。沖縄出身のスター、安室奈美恵さんが出場したためで、病をおして5月に県民栄誉賞を本人に渡した際は「大変うれしく感激している」と満面の笑みを見せていた。

がんの手術後は公務の量を抑え、県庁への登庁も週1回程度。登庁時には「県庁にいるといいよね。力がわき上がっている」と周囲に語っていたが、回復はかなわなかった。

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