2018年12月15日(土)

神戸港150年 歴史をひもとくと…(もっと関西)
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コラム(地域)
2018/8/9 11:30
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開港150年を迎えた神戸港。大輪田泊(おおわだのとまり)と呼ばれた奈良時代から瀬戸内海の海運の要衝として栄え、近代以降は人・モノ・情報が行き交う拠点として国内の産業や文化にも大きな影響を与えてきた。長い歴史をたどると、兵庫県の誕生とも深い関係があることが見えてきた。

■停泊に適した地形

天然の良港と評される神戸港。六甲連山が冬の北風を遮り、南に張り出した和田岬が西風と潮流を防ぐ。港に流れ込む大きな川もなく、深い海底で船の停泊に適した地形になった。

開港前の歴史を学ぼうと、神戸海洋博物館(神戸市)を訪ねた。江戸時代までは神戸の隣の兵庫に港があった。神戸港振興協会博物館課の岡本敏夫課長は「整備された港があったと文献で確認できるのは奈良時代から」と解説する。港は「大輪田泊」と呼ばれ、中国や朝鮮との交易の玄関口にもなっていたという。

大輪田泊を整備し日宋貿易の拠点にしたのが平清盛だ。1180年、福原(現在の神戸市兵庫区)に遷都した。室町時代には「兵庫津」と名称を変え、足利義満が始めた日明貿易の中心地に。江戸時代は近畿と日本海側を結ぶ北前船の航路開発で物流がさらに盛んになり、重要度が高まった。

■戦乱や天災、荒波の連続

海運拠点の地位を築き上げた兵庫津だが、順風満帆だったわけではない。幾多の戦乱や天災から立ち直ってきた歴史もある。

平安時代末期の源平合戦で修築工事が中止になり、鎌倉時代の僧、重源が朝廷に修築を願い出ている。神戸市史を開くと、1469年には兵庫津は応仁の乱の戦場となって「寺院、在家は残らず焼失した」とある。これを機に日明貿易の拠点は堺に移ったという。1596年に近畿を襲った慶長大地震では、町が「壊滅に近い被害を受けたとされる」との記録もあった。

神戸港が開港した150年前はどんな状況だったのか。兵庫県公館県政資料館(神戸市)で明治以降の歴史を探ると、兵庫県誕生の舞台裏も見えてきた。

兵庫県は兵庫津があった摂津地域を中心に成立。1876年に摂津、播磨、但馬、丹波、淡路の5地域で構成するほぼ現在の県域に統合された。日本海と瀬戸内海に面する大県になったのはなぜなのか。

当時、但馬出身で内務省高官だった桜井勉は、内務卿の大久保利通に意見を求められ、但馬と播磨の統合を提案。だが、この案に大久保は注文を付けた。「神戸港のある兵庫県の力を充実させるよう再考を指示した」と教えてくれたのが資料館歴史資料部門の担当者。「指示を受けて桜井が5地域を統合する案を再度示した」という。

開港による海外との交流から新たな産業も生まれた。代表的な一つがマッチだ。明治20年代には神戸港の工業輸出品1位となった。国内生産量は戦前の最盛期と比べて約1%と大幅に減少したが、現在も兵庫県が約9割を占めている。

文化面でも大きな影響を受けた。神戸港の歴史に詳しい神戸大の神木哲男名誉教授は、異国情緒あふれる北野町など日本人と外国人の混住を認めた雑居地に着目する。「開港当時の横浜や長崎に雑居地はなかった。外国人との日常的な交流を通じ、神戸では西洋文化を日本式に変えて取り入れた独自の生活文化ができた」と話す。

■貨物量過去最高に

太平洋戦争の空襲で大きな被害を受けた神戸港だが、戦後は高度成長期に貨物取扱量が急増した。1973年にはコンテナ貨物量が米ニューヨーク、オランダ・ロッテルダムに続く世界3位となった。だが95年の阪神大震災で甚大な被害を受け、ほぼ右肩上がりだった貨物量は激減。2017年にようやく震災前を上回り、過去最高を更新した。

06年に神戸空港が開港し、市は新時代の国際港湾都市づくりを進めている。世界でも珍しい海上の町、「ポートアイランド」と「六甲アイランド」という2つの人工島をどう生かすかも課題だ。次の150年、神戸港はどんな進化を見せてくれるのだろうか。

(大阪社会部 今井孝芳)

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