大切なことは全部、VANで学んだ 鎌倉シャツ会長
メーカーズシャツ鎌倉 会長 貞末良雄氏(2)

最も重要なエッセンスは襟にある――。アイビールックの象徴、ボタンダウンシャツについて、「鎌倉シャツ」で知られるメーカーズシャツ鎌倉(神奈川県鎌倉市)の貞末良雄会長はこう説く。そのこだわりは強く、発明された19世紀当時のモデルを、現代人のテイストにマッチさせたボタンダウンの商品化を決めたほどだ。そんな貞末氏が自らの出発点と語るのが、戦後日本のメンズファッションをリードしたヴァンヂャケット(VAN)だ。
《連載一覧》
(1)「幻のTPP」が生んだ純国産 鎌倉シャツ、狙うは海外
(3)倒産しても「我が師匠」 鎌倉シャツ会長のVAN盛衰記
(4)装いは礼節の一歩 軽視して成功なし 鎌倉シャツ会長
――VANの創業者、故石津謙介さんは1960年代、米国東部の名門8大学「アイビーリーグ」の学生のファッションを「アイビースタイル」として紹介し、一世を風靡しました。
「VAN がドレスシャツとしてボタンダウンを発売すると、瞬く間に高校生や大学生に浸透していきました。私は66年から78年まで、石津先生の下で働きました。VANでは最後、統括本部長兼物流部長でした」
――貞末さんは大学卒業後、電機メーカーに就職したにもかかわらず、VANに転職しました。
「山口県柳井市の生家が、江戸時代から続く藩お抱えの呉服商でした。いわゆる『商人道』を父から聞かされていました。大卒後は2年間、電機メーカーの研究室にいて、ノーベル賞を取れるほど自分の頭が良くないことも分かりました(笑)」

「父が営む衣料品店がVANの特約店になっていたことが縁となりました。店ではVANの商品が飛ぶようが売れ、ビルに建て替えるなど、とても立派になっていきました。『すごい』と思ったことを今でも覚えています」
■配属2日目に商品倉庫の担当に
――66年にVANに入社すると、最初の所属は大阪本社の営業部でした。
「ところが配属2日目に商品倉庫に担当変えになりました(笑)。上司が私を見て『君の服装ではお客様の前に出せない』というのです。センスの良いおしゃれな先輩社員が多かった中で、私の着こなしはダサく見えたのでしょう」
「特に革靴はその人の人品骨柄を雄弁に語ります。当時は先がとがった魔法使いのような靴が流行していたのですが、私はそれを誇らしげに履いていました。このため、社内では『魔法使いの靴を履いて入社した男』と有名になってしまいました(笑)」

――6年間の商品倉庫担当のときに、物流システム改革に取り組みます。
「自社倉庫の管理担当でした。当時のアパレル業界には、商品管理という概念がほとんどありませんでした。営業マンが倉庫まで足を運んだりして非効率的でした」
「米国で出版された専門書を参考に、物流改革に取り組みました。その本は、倉庫の目的は商品の保管にあるのではなく、『商品を流通させるために存在する』と指摘していて、色やサイズごとに分ける単品管理の重要性を説いていました」
《連載一覧》
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(3)倒産しても「我が師匠」 鎌倉シャツ会長のVAN盛衰記
(4)装いは礼節の一歩 軽視して成功なし 鎌倉シャツ会長
「自社で倉庫を保有する必要もないことが分かりました。住友倉庫に出向いて商品の単品管理と配送をお願いしました。当時、アパレル業界で初めての取り組みでした」
――1960年代、VANのアイビールックは大流行しました。VANは時代の先端を走る企業として急成長しました。
「石津先生は拠点を創業の地、大阪から東京に移しましたが、大阪に来ると我々を食事などに連れて行ってくれました。『良い靴を履きなさい』『おいしいものを食べなさい』などと私たちに教えを説きながらも、次々に新しいアイデアが浮かんでくるようでした」

「そのころには私もVANの靴を履いていました。しかし石津先生は『貞末君、ウチで扱っている商品だから悪いとはいわないよ。しかしイタリア製の靴にも挑戦してみたらどうかな』などとアドバイスされるような方でした」
■アイビー着目の理由は敗戦にあり
「石津先生がアイビールックに着目した大きな理由は、実は日本が第2次世界大戦で敗戦したことにありました。やがて日本が再び世界と肩を並べて競争するとき、欧米相手に羽織袴(はかま)だけでは立ち向かえません」
「将来のことを視野に入れていたのです。日本に洋服のルールを根付かせようにも、すでに成人した世代ではもう遅い。そこで若者にファッションを啓蒙しようとしたのです。石津先生本人はイタリア風のファッションも好みでした」
「100年という長期的な観点で日本の服飾文化を変えた1人を選ぶのなら、ほかの誰でもない石津謙介先生でしょう」
(聞き手は松本治人)
1940年山口県生まれ。64年千葉工業大学電気工学科卒。66年ヴァンヂャケット入社。統括部長として営業、販売促進、物流、商品企画を担当。78年同社倒産により退社。81年ヴィレジャージャパン設立に参画。92年シーン専務営業本部長。93年にメーカーズシャツ鎌倉を創業。現在国内26店、海外3店を運営。
《連載一覧》
(1)「幻のTPP」が生んだ純国産 鎌倉シャツ、狙うは海外
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