2018年12月15日(土)

たばこ王、和の贅尽くす 長楽館「御成の間」(もっと関西)
時の回廊

コラム(地域)
2018/8/1 11:30
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よもや内部にこんな空間があろうとは。

ルネサンス様式の外観を持つ京都市東山区の明治時代の建築、長楽館。一見、典型的な洋館だが、最上階の3階だけはあっと驚く和風の空間だ。

■多くの伝統様式

館内の2階まではいずれの部屋にも高い天井、しゃれたカーテンに大きな鏡と暖炉がある。細部はロココ様式であったり、英ビクトリア朝のネオクラシック様式であったりと違っていても、基本的に欧州の伝統を踏まえたインテリアで統一されている。

15年ぶりに特別公開される3階の和風空間「御成の間」(京都市東山区)

15年ぶりに特別公開される3階の和風空間「御成の間」(京都市東山区)

ところが一転して3階は「御成の間」をはじめ、贅(ぜい)を尽くした和風建築になっている。天井は四隅に湾曲した材を配し、全体を一段高く持ち上げた折り上げ格天井。将軍や位の高い人物が座る空間向けの造作だ。このほか禅寺を思わせる花頭窓や、床の間の脇に違い棚を配した書院造り。京都画壇の神坂雪佳によるふすま絵の金箔・銀箔が、重厚感を演出する。

1909年の完成直後に訪れ、この3階から広がる京都東山の眺めを楽しんだ明治の大物政治家・伊藤博文は「この館に遊ばば その楽しみや けだし長(とこしえ)なり」と詠んだという。「長楽館」命名の由来となり、伊藤が揮毫(きごう)した額が残る。

迎賓館として建てられ、訪れた人物には大隈重信、山県有朋、井上馨、西園寺公望らのほか、英国皇太子や米財閥ロックフェラー関係者らも交じる。「大正天皇の即位式が京都で行われたとき、各国の賓客をもてなす3施設の1つに選ばれました」(長楽館の広報担当・三浦唯さん)

建てたのは京都生まれで明治・大正期の実業家・村井吉兵衛。「日本のたばこ王」とも呼ばれた人物だ。たばこは1904年に国直営の専売制に移行するまで、民間業者がしのぎを削る自由競争市場だった。

ルネサンス様式の外観を持つ長楽館。迎賓館として建てられた

ルネサンス様式の外観を持つ長楽館。迎賓館として建てられた

村井はキセルを使うたばこが有力だった時代に、紙巻きたばこ「サンライス」を日本で初めて商品化。機械生産で製品価格を抑えただけでなく、刻み葉を詰め替えずに済む便利さが支持され市場の一角に躍り出る。続いて外国産の葉を配合した新製品「ヒーロー」を投入する傍ら、馬車と音楽隊でCMソングを流すなど、当時としては斬新な宣伝戦略で事業を拡大した。

20世紀初頭にはたばこ市場は村井の陣営である西の株式会社村井兄弟商会と、東京が本拠の岩谷商会が張り合う構図だったようだ。

■売却資金で建設

急拡大した市場に目を付け、政府は日露戦争の戦費の一端をたばこから調達しようと動く。1904年に煙草専売法が成立し、たばこは製造から販売まで国の直営事業になった。

村井は政府にたばこ事業を売却。その資金1120万円を元に、手広く銀行や鉱山・石油開発のほか、印刷・倉庫・製糸・製糖・製粉などの経営に手を広げたというから、たばこで築いた財産は大きかった。長楽館の建設に着手したのも、1904年だった。

ただ村井が1926年に死去すると、翌年の金融恐慌のあおりで村井財閥はあえなく消滅。長楽館もその後、滋賀県出身の事業家や米国人など所有者が変わり、数奇な運命をたどる。

現在は新館と併せホテル・レストラン・カフェとして営業している。喫煙の間として作られた一室が今もあるが「現在は全館禁煙」(三浦さん)という。

86年には京都市指定有形文化財に登録。3階だけは通常、非公開だが、8月8日から9月30日まで、15年ぶりに特別公開される。

文 岡松卓也

写真 大岡敦

 《交通》京阪祇園四条駅から徒歩15分。
 《ガイド》東山山麓の閑静な一角にあり、京都有数の名所旧跡に囲まれている。北隣は桜で有名な円山公園と、その先に知恩院。円山公園の坂を下ると八坂神社で、鳥居を抜ければ洛中きっての目抜き通り・四条通。その左右に祇園が広がる。南には山麓伝いに高台寺や清水寺がある。

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