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経済の長期停滞に挑む 松下元日銀総裁死去

経済
2018/7/25 12:00
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 エリートぞろいの旧大蔵省(現財務省)事務次官OBの中から松下康雄氏が日銀総裁に指名されたのは、手堅い仕事ぶりと説明能力の高さ、敵をつくらない人柄が買われたからだった。

日銀総裁として記者会見する松下氏(1997年6月、日銀本店)

日銀総裁として記者会見する松下氏(1997年6月、日銀本店)

 竹下登元首相のもとへ総裁就任挨拶に訪れた際のエピソードが残る。「デリバティブを3分で説明してくれ」。こう語りかけた元首相に「5分下さい」と笑顔で返し、元首相に「今まで聞いた中で一番分かりやすかった」と言わせた。

 大蔵省の本流である主計局を中心に出世コースを歩んだ。だが、常に順風だったわけではない。1979年、大蔵省職員が当時の日本鉄道建設公団(現・鉄道建設・運輸施設整備支援機構)から過剰接待を受けていたことが発覚。官房長だった松下氏は綱紀保持の責任を怠ったとして戒告処分を受けた。大平正芳内閣で、財政再建のための一般消費税が議論され始めたころだけに、官僚の公費使い込みに批判が集中した。

 次官退官後、87年に太陽神戸銀行の頭取となり、日銀総裁の椅子は遠のいたように見えた。だが時代は官から民へと動き出していた。頭取時代に三井銀行との合併という実績を上げ「総裁にふさわしい」と言われるようになる。94年、三重野康氏の後任として日銀総裁になった。

 総裁時代はかつてない激動の時期だった。日本経済は長期停滞に陥り、金融政策は恒常的な緩和局面に入る。金融機関の不良債権が日本を揺るがせたのもこの頃だ。

 97年11月。1カ月間に2つの証券会社と2つの銀行が破綻し、日銀は特別融資などで国民の預金引き出しに必死に対応しなければならない事態に直面する。11月26日には三塚博蔵相と共に「冷静な行動をとられるよう強く要望する」と国民に呼びかける緊急声明を出したほどだった。

 大蔵省、日銀幹部への金融機関による接待汚職事件でも批判の矢面に立った。戒告処分を受けた官房長時代を想起させるような不祥事で、部下が逮捕された責任をとって98年に任期途中で辞任する。「日銀は出直し的な再出発を」。退任時に職員にこう訓示し、多くを語らず日銀を去った。

 「政治家というのはね、こういうふうに話してはいけないんだよ」。日銀OBの一人は「政と官」の付き合い方について教えてもらったという。記者会見や国会答弁で激した姿など見せたことがなく、常に冷静沈着、理路整然としていたのが松下氏でもあった。

 退任後は人前にあまり姿を見せず、ひっそりと余生を送った。トップエリートであるが故に、日本の激動の荒波をまともにかぶった最後の大蔵官僚だった。

(元経済部長 吉次弘志)

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