関西 弱いのはあかん フリーアナウンサー 杉本清さん(もっと関西)
私のかんさい

2018/7/24 11:30
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「菊の季節に桜が満開。サクラスターオーです」(1987年11月の菊花賞)――。競馬実況で名フレーズを数多く生み出した杉本清さん(81)は生まれも育ちも奈良県の大和高田市。現在もこの地で暮らす。

 すぎもと・きよし 1937年奈良県大和高田市生まれ。60年に関西学院大学を卒業後、アルバイトとして関西テレビに入社。その後アナウンサーとなり、主に競馬を担当、数々の名実況を生み出した。97年に定年で同社を退社。以後はフリーアナウンサーとして活躍している。

すぎもと・きよし 1937年奈良県大和高田市生まれ。60年に関西学院大学を卒業後、アルバイトとして関西テレビに入社。その後アナウンサーとなり、主に競馬を担当、数々の名実況を生み出した。97年に定年で同社を退社。以後はフリーアナウンサーとして活躍している。

子供の頃は野球少年だった。大和高田は近鉄沿線だが、好きなプロ野球チームは南海。人情家の鶴岡一人監督が率いるチームカラーにひかれた。中学で野球部に入ったものの体が弱く、ある日、血尿が出て医者に野球を止められた。ただ野球好きに変わりはなく、ラジオの中継をよく聞いた。

関西学院大学に進み、初めて大和高田の外に出た。引っ込み思案で戸惑いもあったが、友達づくりのために、偶然ポスターを見かけた放送研究会に入った。関西大学との関関戦の野球も実況した。当時の関大のエースは後にプロ野球の阪神で大活躍する村山実さん。関学大はよく負けていた。

大学卒業後、アルバイトとして関西テレビに入社。その後、同社の公募に受かりアナウンサーに。競馬実況アナとして大成したのは関西特有の「情けがあったから」と感謝する。

アナウンサーになるまで競馬は知らなかった。研修で競馬場に行った際、初めて買った馬券が当たり、魅力にとりつかれた。毎週、先輩について競馬場に行くようになり、放送も担当するようになった。

ただ自分は器用ではなく、時間をかけて物事に慣れていくタイプ。実況を形にするにも時間がかかった。ようやくビッグレースを実況できるようになったのは入社して10年近くがたった69年の桜花賞だった。

これだけ待ってくれたのは情けだったのだと思う。「頑張っているのだからチャンスをあげよう」といったのんびりとした雰囲気が関西にはある。関東は競争が激しいため、常にいいものを選び取り、だめになるとあっさり見限る傾向があると感じる。関東だったらここまでやれたかどうか。

大和高田で平々凡々と育ったからか、自分自身ものんびりしていた。もともと関東への対抗意識はなく、南海が日本シリーズで巨人に何度やられようと「東京が強いのは当たり前」と思っていた。

関西テレビ時代から競馬ファンの記憶に残る様々な名フレーズを残してきた

関西テレビ時代から競馬ファンの記憶に残る様々な名フレーズを残してきた

意識が変わったのは競馬を取材するようになってから。自分が担当になった当時は関西馬が弱かった。ある日、関東での取材で親しい関西の調教師と馬の調教を見ていたら、関東の放送関係者が「関西馬は弱いなあ」と声をかけてきた。会話が終わると、横にいた調教師が「いまに見てろよ」。この頃から「関西が弱いのはあかんぞ」と思い出した。

思いがあふれ出たのが関西所属の名馬、テンポイントの実況だった。同馬がデビューした75年、阪神3歳ステークスという大レースに出た時、最後の直線で独走態勢となったのを見て不意に出た言葉が「見てくれこの脚、これが関西の期待、テンポイントだ」。この実況への反響は大きかったが、言った本人もびっくりした。知らず知らずのうちに関西を意識するようになっていたのだと実感した。

いまでは関東ばかりが強くては盛り上がらないと考えるようになった。関西の関係者の努力もあり、競馬では関東を圧倒するまでに関西が強くなったが、関西が関東以上に強いくらいのバランスの方が、日本全体も活気づくと思う。

名フレーズを生んだ実況のカギは「ひらめき」だったとか。関西の活性化にもひらめきが必要になると語る。

いまの関西は活気がない。大きな会社は東京へ行き、人口も減少している。そういう意味では、大阪が万博誘致に熱心に取り組むのはよくわかる。地域活性化には、注目を集めるイベントが必要なのだろう。

こうしたイベントや施策を考える時にもひらめきが重要だと思う。関西は失敗を恐れずに新しいことをやれる土壌もある。ひらめきのある人が新しいことを始め、周囲が情けを持って応援することが関西の活性化につながるのではないか。

(聞き手は大阪・運動担当 関根慶太郎)

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