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「メダル数争いやめよ」アスリート起業家、五輪を斬る

ドーム社長 安田秀一氏

ドームの安田秀一社長

NIKKEI STYLEオリパラは今月から、スポーツ界の若き論客、安田秀一氏による新コラム「SPORTSデモクラシー」を連載します。同氏は二つの顔を持っています。米スポーツブランド「アンダーアーマー」の総代理店、ドーム(東京・江東)を立ち上げた経営者が一つ。加えて、学生時代にはアメリカンフットボールの選手として活躍し、今春まで母校である法政大の総監督も務めました。ビジネスマンとアスリートの両方の視点から、自由にスポーツを論じます。初回は、開会式まであと2年の東京五輪についてです。

◇   ◇   ◇

東京五輪・パラリンピックの開幕が2年後に迫っています。率直に言って、日本の未来を左右するかもしれない大イベントを迎える準備に、いささかの不足と不安を感じております。

それでも僕は、スポーツの可能性、その圧倒的なパワーを信じています。2年後の世界のアスリートの活躍がわれわれの意識を変え、あらゆるネガティブな状況を打破して、日本の新しい未来を開いてくれると期待しています。

そう、それこそがこのコラムタイトルでもある「SPORTSデモクラシー」への大いなる期待です。世界の各地で、スポーツの魅力を駆使した改革、学校や地域、あるいは国境を超えた前向きな活動が活況を呈しています。スポーツが健康な人をつくり、人と人を結びつけ、経済を回し、教育環境を改善し、平和に対しても一定の貢献をするようになっています。僕も甚だ微力ながら、日本がスポーツを通じてより豊かな、真の民主的な国家へと成長するために、頑張っていこうと思っています。

場当たりの準備、ビジョン見えず

そもそも東京五輪・パラリンピックは何のために開催されるのでしょう。五輪の果たすべき役割とは、そしてスポーツとは何なのか。人類の営みにおいて、スポーツはどんな意味を持つのでしょうか。

石原莞爾は著書「世界最終戦論」のなかで、平和な世界における人類の闘争心について記した

スポーツの祭典である五輪を開催するにあたって、まず考えるべきなのはそんな「ビジョン」だと思うのです。しかし、現状はまったくそうなっておらず、「ビジョン」がまるで見えないのではないでしょうか。

大会組織委員会、東京都、日本オリンピック委員会(JOC)、スポーツ庁、日本スポーツ振興センター(JSC)など、たくさんの組織が関わっていますが、そうした視点で大会の全体観を描き、説明し、責任を負う「プロデューサー」の存在が感じられません。それぞれの組織がばらばらで場当たり的に関与しているように見えます。本来なら五輪の歴史的、哲学的な意味を考え抜いたリーダーが大会を設計し、それに基づいて準備を進めていくべきでした。

人類の営みにおいて、スポーツはどんな意味を持つのでしょうか。

帝国陸軍の軍人で軍事思想家でもあった石原莞爾は、著書「世界最終戦論」で興味深いことを書いています。この論文は、東洋と西洋が最終戦争をした後で世界は一つにまとまり、その後は平和が訪れるという内容ですが、僕が興味を持ったのは、平和な世界での人類の闘争心についての記述でした。

簡単にまとめてみます。「人類の闘争心は決してなくならない。一方で、それは文明発展の原動力である。最終戦争後は、その闘争心を武力闘争に用いようとする衝動は解消し、平和裏により高い文明を建設する新しい競争に転換し、闘争的本能を満足させるのである」

安田氏は現代の五輪において、都市の持続可能性が重要なテーマと指摘する

石原莞爾はここでスポーツを挙げてはいませんが、人間の野性的な闘争本能の受け皿となる平和的な競争、僕はそれがスポーツの役割と考えています。

闘争本能をスポーツで満たすのはアスリートだけではありません。多くの観客がゲームを楽しみ、高揚し、ストレスを発散する。大阪の血気盛んな若者がけんかをする代わりに甲子園球場に行って、ビールを飲んでタイガースを応援して、気持ち良くなって帰る。こう考えるとよく分かっていただけるのではないでしょうか。

人類の歴史を振り返れば、われわれには衣食住や生産活動以外のものが必要で、だからこそ人間であるとも思っています。お祭りがなぜあるのか、音楽や踊りがなぜあるのか。人は本能を理性に変え、人間としての在り方を体現してきました。そんな中で、スポーツは闘争本能をコントロールする役割を担い、それによってわれわれは人間としての尊厳を保っていくのだと思います。

「スポーツは平和の実現のためにある」。これは目新しい考え方ではなく、国際オリンピック委員会(IOC)が五輪憲章で掲げる理念ともぴったりと一致します。五輪はそれ自体が「平和の祭典」と呼ばれています。五輪は国別のメダル争いの場ではない、とIOCは明確に定めています。

スポーツを使って都市の再生を

この点について東京大会はどうでしょうか。もちろん、五輪と平和についてはみんなが考えているでしょう。しかし、メダル争いにも躍起になっている現実があります。JOCは金メダル30個という目標を発表し、政府は選手強化のための補助金をどんどん上積みしています。この補助金というのは、目先の活動費であって、スポーツの将来に向けての持続的な発展につながるモノとは思えません。

東京大会は世界の平和に貢献するために開催する――。そんなメッセージを出したいなら、「日本はメダルの獲得数争いはしません」と初めて宣言する開催国となってもいいのではないでしょうか。世界の平和とそこまで本気で向き合った五輪は過去にはないと思います。

近代五輪はさまざまな問題に苦しんできました。1972年ミュンヘン大会ではテロ、76年モントリオール大会は都市に巨額の財政赤字を残しました。その結果、84年ロサンゼルス大会で商業化に舵(かじ)を切り、その後の五輪の方向性が決まりました。商業主義は五輪のサステナビリティー(持続可能にすること)のために導入されたものです。

では、現在の五輪にはどんな方向性が求められているのでしょうか。開催都市の巨額の財政負担が問題になり、大都市の五輪離れが指摘されています。近代五輪の大きなテーマは都市のサステナビリティーです。スポーツを使って都市を再生する。都市の課題を解決していく。東京にこそふさわしいテーマといえると僕は思います。

五輪を真の平和の祭典として表現するとともに、大イベントをテコに、東京という都市で、少子高齢化の課題が解決し、安心安全な社会を実現したモデルがつくられ、それが世界に広がっていく。84年のロサンゼルス五輪がそうであったように、新しい都市型の五輪を東京が定義する。そんな大会が実現できれば、日本は五輪によって世界に貢献できるはずです。東京を持続可能な都市に変えるためならば、お金はいくら使っても惜しくないでしょう。

残念ながら、実際にはさきほども書いたように、そうした明確な哲学や理念の無いまま、日本的なあいまいなやり方でなし崩し的に大会の準備が進んでいるように見えます。

安田秀一
 1969年東京都生まれ。92年法政大文学部卒、三菱商事に入社。96年同社を退社し、ドーム創業。98年に米アンダーアーマーと日本の総代理店契約を結んだ。現在は同社代表取締役。アメリカンフットボールは法政二高時代から始め、キャプテンとして同校を全国ベスト8に導く。大学ではアメフト部主将として常勝の日大に勝利し、大学全日本選抜チームの主将に就く。16年から18年春まで法政大アメフト部の監督(後に総監督)として同部の改革を指揮した。18年春までスポーツ庁の「日本版NCAA創設に向けた学産官連携協議会」の委員を務めたほか、筑波大の客員教授として同大の運動部改革にも携わっている。

(「SPORTSデモクラシー」は毎月掲載します)

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