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今日も走ろう(鏑木毅)

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けが克服し走れる喜び 病乗り越えた父と心通う

2018/7/12 6:30
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 75歳を超えた父親が大腸がんを患ったが、数回の手術でなんとか一命をとりとめた。

 父は中学校を卒業すると農業を継ぎ、母とともに群馬県の赤城山麓の小村で畑を耕し、農作物を出荷して生計を立ててきた。一つの土地に張り付き何年たっても同じような仕事をする父に対して、正直に言えば、私はいつも何か物足りない思いを抱いてきた。父の背中を見ては、自分はもっと広い世界で活躍できる存在になりたいと、いわば反面教師としながら努力を重ねてきた。

アキレスけんの故障に耐えてトレーニング(群馬・上州武尊山)

アキレスけんの故障に耐えてトレーニング(群馬・上州武尊山)

 叱られることは全くなく、包み込むような優しさを常に持ち、安心できる存在だった父。一方で、天候や収穫を気にしてばかりの姿はいつも何かにおびえて弱気に映り、企業人などとしてかっこよく活躍している友人の父親がうらやましくてたまらなかった時もあった。血のつながりこそあれ、父は水や空気のような存在で、私の生き方や考え方に影響を与えたということはほとんどなかったように思う。

 今回の病を経て父は大きく変わった。今まで語ることのなかった人生のさまざまな苦しみや楽しみ、そして息子に今後どのように生きてほしいかなどを話すようになった。大病を乗り越えた自信と死を意識した人間の力強さと呼べるものが伝わってくる。

 私は40歳で公務員を辞め、プロトレイルランナーとして独立し、その年の世界最高峰の大会で3位だったものの左脚アキレスけんに大きなけがをした。スポーツ整形の医師からは「ここまでひどいと再びそれまでのレベルで走ることは難しいだろう」と診断された。もちろん生死にかかわるようなものではないが、全ての退路を断ちプロランナーとしてスタートした我が身としては死の宣告も同然だった。

 走らずに安静にしていても治る見込みもない。そもそも生活するには走らざるを得ないので、激痛を我慢しながらトレーニングを続けた。大会の時はもちろん、週に数回実施する負荷の高いトレーニングでも痛み止めを服用しないと走れないような日々が続いた。「何故こんなことになったのか」と落胆し涙にくれる日もあった。

 最終的には4年の歳月を経て奇跡的に切り抜けることができたが、痛みなく当たり前に走れることがこれほどにもうれしいことなのかと、喜びとともに自分の置かれている状況への感謝の念が自然に胸にわき起こった。そしてこのけがを乗り越えたことで走ることの意味を再び強く意識し、レースで苦痛に耐える心は以前よりも飛躍的に強くなったように思う。

 もちろん大きな病気もけがも経験せずにすめばそれに越したことはないが、それぞれの困難を乗り越えた体験が父と私との間に共感を生んだのだろうか。今は帰省した時にがんを乗り越えた父とこれまでの思い出話や将来のことなどを語りあうのが心のよりどころとなっている。

(プロトレイルランナー)

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