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渋沢栄一に学ぶ(大機小機)

明治日本の実業界をけん引し、教育をはじめ多くの社会事業に携わった渋沢栄一。彼はまた、民間外交の先駆者でもあった。

幕末以来、開国に深くかかわった米国は、わが国の近代化に協力しただけでなく不平等条約改正の求めにも理解を示すなど、日本の友好国だった。ところが、日露戦争に勝ったわが国が富国強兵にまい進するようになると、新興勢力である日本に脅威を感じるようになる。友好関係は一転、対立関係になった。

一方、交通通信網の発達などから、国際関係は緊密化していく。外交は政府同士の関係だけでは収まらず、世論の占める比重が増えていった。交流のチャンネルを多角化し、相手国の世論の理解を得る必要性が高くなったのだ。

だが、米国では日本製品や日本人移民の排斥問題が発生する一方、国内では対米世論が悪化していた。そこで民間外交に乗り出したのが渋沢である。政治と大衆の中間に位置する実業人として、政治家や官僚、軍人とは異なる視点から相互理解を深めたいという思いであった。

大きな動きは実業団訪米だった。前年の米国実業団の訪日を受ける形で、1909年に米国商業会議所が日本実業団を招いた。渋沢団長はそのとき69歳。8月から12月にかけて米国全土53都市を回り、タフト大統領や政治家、エジソンやロックフェラーなどの著名人と会見した。ハーバードやエール、カリフォルニアなどの主要大学や教会、福祉施設も訪問した。

渋沢らの努力もむなしく、13年にはカリフォルニア州で排日土地法が、24年には排日移民法が成立してしまった。だが、渋沢は自ら組成した日米関係委員会を要に、81歳まで船旅で米国に足を運び、友好関係の回復に心血を注いだ。

今、世界はみな自国ファーストに陥り、それぞれが自己価値の普遍化を目指している。わが国は安全保障や情報連携をはじめ、各面にわたるネットワークの強化が急がれる。

5月、中西宏明経団連会長は就任にあたり「国だけで国際関係をつくれる時代ではない」と語り、経済界による民間外交に尽力する考えを示した。日米だけでなく日仏、日中の交流にも心を砕いた渋沢と同じ経済人として、中西会長の活躍に期待したい。

(一礫)

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