ファン投票上位馬がそっぽ… 寂しい夏のグランプリ
6月24日の宝塚記念(G1、阪神芝2200メートル)は、入場者が前年を22.4%上回る6万5800人を記録した。といっても、特別に集客力のある馬が走っていたわけではない。人気アイドルグループ、関ジャニ∞のメンバー3人が国歌斉唱に登場したためだった。売り上げは正直で、前年比9.1%減の192億1928万7700円と、3年ぶりに200億円の大台を割った。
■6頭がG1初出走、お寒い現状
理由は出走馬の質で、ファン投票の得票数上位10頭中、出てきたのが1位サトノダイヤモンド、5位サトノクラウン、7位キセキの3頭だけ。他に海外G1勝ち馬のヴィブロス(15位)、香港の強豪ワーザーが出走して何とか格好はつけたが、G1で3着以内がない馬も出走16頭中8頭いた。うち6頭はG1初出走。世代の全ての馬の目標になる3歳クラシックと異なり、古馬のG1は年によってメンバーの質にばらつきが生じがちだが、宝塚記念は特有の難しさがあり、「上半期のグランプリ」の看板が色あせるような年が少なくないのは確かだ。
「荒れるのはわかっていたが……」。ファンのぼやきが聞こえてきそうな結果だった。勝ったのは7番人気で、G1で3着以内のなかったミッキーロケット。2着ワーザーは香港の中距離路線の第一人者。前日段階では6番人気(10.3倍)にとどまっていたが、当日になって前回比27キロという大幅な体重減が発表されると、一気に人気が落ちて、最終的には14.9倍の10番人気に。

メンバーの質に加え、馬場状態も売り上げの足を引っ張った。前日午後の激しい雨で重馬場まで悪化し、当日の好天でやや重に回復した。乾いていく過程の馬場が、どの馬に向くかの判断は難しいが、通常は内寄りが有利。勝ったミッキーロケットの陣営は「やや重くらいまでなら辛抱してくれる」という見立てで臨んだが、結果的に最適の条件となり、4番枠の利点をフルに生かせた。ワーザーにしても「あまりに速すぎる馬場は厳しい」という前評判で、条件がむいたことが大幅な体重減を克服できた一つの要因だった。
3着ノーブルマーズはG1初参戦で重賞も未勝利。人気順は下から5頭目だったが、好調さを生かした。格が全く役に立たなかった今回を象徴する健闘で、国内G1勝ち馬4頭は、ヴィブロスが4着と着順掲示板に入ったものの、ファン投票順位1桁組は3頭とも着外。ただ、実はこれも多くのファンは半ば織り込み済み。3頭とも近況が不振だったからだ。むげに軽視はできないが、凡走しても驚けない臨戦過程だった。古馬のG1であれば、近況の良い実績馬が1、2頭はいるのが常だが、今回は違った。馬券が売れないのも無理はない状況だったのである。
ファン投票上位10頭中、回避した7頭の事情を見てみよう。6位のレインボーラインは天皇賞・春優勝時に故障を発症して引退。3歳牝馬2冠のアーモンドアイも、3歳馬の出走自体が12年以降、絶えており、参戦自体が期待薄だった。問題は残る5頭で、3頭はドバイや香港に遠征した後、休養に入っていた。昨年のジャパンカップ優勝馬シュヴァルグランは、陣営が今回の距離2200メートルを「短すぎる」と判断したのか回避。2位のスワーヴリチャードは大阪杯優勝後、右回りを嫌って安田記念に進み3着。その後はやはり夏休みに入った。右回りの大阪杯をミルコ・デムーロのアクロバティックな好騎乗で勝ちきったが、陣営は再現性を疑っていたと思われる。
海外遠征組を見ると、ドバイ組は約3カ月の間隔があり、使えない日程ではなく、今年に限らず出てくる馬はいる。ただ、帰国後に検疫があり、その期間中は普段通りの調整ができない。検疫明けに宝塚記念のためだけに暑さが増す中で調教の負荷を強めるよりは、休ませて秋のG1連戦に備えるという判断は合理的といえる。アルアインは香港G1、クイーンエリザベス2世カップ(シャティン・芝2000メートル)に参戦し、帰国後は宝塚記念が目標だったが、体調が整わずに回避した。香港の場合、輸送距離は短いが、開催時期が4月末で調整期間が短い。どうにも宝塚記念は使い勝手が悪いのだ。
■中途半端な開催時期…
国内残留組にとっても、新設G1の大阪杯から、宝塚記念までの12週という間隔は、直行するには長すぎる一方、間に1戦挟むとなると3200メートルの天皇賞・春しかない。結果的に今年の上位3頭は、ミッキーロケットが8週、ワーザーが3週、ノーブルマーズが4週と短めの間隔で臨んだ馬だった。昨年は大阪杯から直行したサトノクラウンが勝っており、新設G1大阪杯から宝塚記念までの日程の組み方は試行錯誤の段階といえる。
日程の組み方の難しさに加えて、馬場が悪化しがちな点も有力馬を遠ざける。梅雨のただ中でしかも開催の最終週のため、良馬場発表でも芝は荒れているのが普通。2013、14年と連覇したゴールドシップは、弱点の瞬発力不足を2分13秒台で決着した馬場状態が隠してくれた。だが、ディープインパクト産駒全盛のいまの日本競馬にあっては、こういうタイプは少数派。瞬発力で勝負したい馬を抱える陣営からすれば、宝塚記念の優先順位は下がる。

競馬で馬場状態と枠順は運の領域だ。宝塚記念は枠順の有利不利こそ大きくないが、雨の影響がほぼなかったのは、オルフェーヴルの勝った12年が最後。その後は毎年、馬場が渋り、16~18年は3年連続でやや重。晴れれば真夏並みに気温が上がるので、馬へのダメージも大きい。苦労して仕上げた揚げ句、雨で持ち味を殺される確率が高いのであれば、やはり回避するのが合理的だ。
もともと宝塚記念は、古馬G1の中でも位置づけの曖昧なレースだった。創設は1960年と天皇賞や有馬記念より後発で、グレード制施行前、最も格式が高いとされた「旧八大競走」にも含まれていなかった。施行時期も、当初の8回は6月末か7月初旬で、その後は6月の1、2週を行ったり来たりと不安定だった。96年からは3歳の有力馬が出走しやすいよう、7月半ばに移されたが、00年には6月末に戻り、現在に至っている。問題は時期を繰り下げた効果が出ていないことで、96年以降の23回で、3歳馬の出走は9頭。うち馬券に絡んだのは02年ローエングリンの3着だけだ。勝ち目が薄いから3歳馬は参戦せず、季節が悪くなって古馬にも避けられた。番組編成側の意図が空回りした失敗の典型といえる。
もともと、一流馬を集めるには厳しい条件だった。創設から第19回(78年)まで、出走馬が2桁に届いたのは3回だけ。同時期の有馬記念では、頭数2桁割れは5回だから、設計自体に無理があった。それでも「関西版グランプリ」をつくった背景には、「東にあって西にないのは不公平」という西の関係者の意識があったと思われる。
豪華メンバーの年もあった。トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスの「TTG」が1~3着を占めた77年は6頭立て。4着は前年秋の天皇賞馬アイフル、6着は前年のダービー馬クライムカイザーで、唯一、旧八大競走の勝ち星のなかった5着ホクトボーイも、同年秋に天皇賞を勝った。ただ、この頭数ならファン投票をやる意味はなく、売り上げも「TTG」が死闘を演じた同年の有馬記念(8頭立て)の20.8%にすぎなかった。

■ファン投票の意味合い乏しく
80年代以降は頭数は集まるようになったが、ファン投票の存在意義が問われる状況に変化はなかった。99年から今年までの20回で、ファン投票上位10頭中、実際に走った馬は延べ93頭で、半数にも届いていない。ただ、実は有馬記念も近年、同じ問題を抱えている。過去10年のファン投票上位10頭中、出走したのは49頭と半数を割っている。オルフェーヴルの引退レースだった13年は、同馬とゴールドシップの2頭だけ。投票無用論が起きかねない状況に、日本中央競馬会(JRA)は14年から、有馬記念のファン投票上位10頭に「出走ボーナス」を導入した。投票1~3位の馬は走れば2000万円が出る。それでも、15年は出走が3頭、昨年は4頭だから効果は怪しい。小回りでコーナーを6度回るコース形態もネックとされる。1着賞金3億円の有馬記念でも馬が集まらないのだから、賞金が半額でボーナスもない宝塚記念の苦戦は当然か……。
もともと競走馬は馬主の私有財産で、「どのレースを走るか」に関し、一般の競馬ファンが介入するなど、本場の欧州ではあり得ない。ファンの投じた馬券マネーが競馬産業を支えている日本ならではのスタイルだが、近年の状況を見ると、限界に達している感は否めない。
歴史をひもとくと、日本の競馬で東西の「チャンピオンコース」は東京と京都だった。有馬記念も宝塚記念も2400メートルでないのは、中山と阪神で2400メートル戦が施行できなかったためだ(阪神は07年に新設)。各国で多くのG1が組まれる2400メートルは「根幹距離」と呼ばれるが、根幹距離が取れないのは両競馬場の弱点だった。こうした競馬場で大レースを組むには、ファン投票のような仕掛けも必要だったのだろう。有馬記念創設に尽力したJRAの有馬頼寧・2代目理事長はプロ野球のオーナー経験もあり、オールスター戦にヒントを得てファン投票を導入したのは有名だ。だが、本家の米大リーグでオールスター戦は年1試合。畑は違うが、年2回のオールスター戦は多すぎるのかもしれない。
(野元賢一)