独自の信仰、風前のともしび 長崎「隠れキリシタン」
世界遺産登録見通しも信徒は減少

2018/6/20 15:30
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「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が、6月下旬に始まる国連教育科学文化機関(ユネスコ)の委員会で世界文化遺産に登録される見通しだ。江戸期の禁教が解けた後も続く独自の信仰だが、時代の移ろいとともに信徒は減少。「先祖の教えを守っていきたいけど……」。世界に価値を認められたひとつの民俗文化は今、存続の危機にひんしている。(江里直哉、撮影 塩山賢)

居間の祭壇には、和装で黒髪の聖母マリアがイエスを抱きかかえた姿を描いた掛け軸。信徒の聖地である無人島「中江ノ島」の岩からしみ出した聖水が入った瓶の横には、仏壇や神棚も並ぶ。

自宅で「オラショ」を唱える川崎雅市さん(長崎県平戸市)

自宅で「オラショ」を唱える川崎雅市さん(長崎県平戸市)

隠れキリシタンが多く暮らしてきたことで知られる長崎県平戸市の生月島。島北部に住む信徒の川崎雅市さん(68)は、祭壇に向かって隠れキリシタンの祈り「オラショ」を唱え始めた。「おんはは(御母)サンタマリア……」。正座して手を合わせ、胸の前で十字を切り、静かに語りかけるように、祈りの言葉を唱え続けた。

オラショはもとはラテン語の「祈り」の意。「朝に『一日が無事でありますように』、そして夕方に『一日が無事に終わりました』という感謝の気持ちで祈る。最近は朝早く起きるのはきついけど」。川崎さんはとつとつと話す。

熱心な信徒だった父から信仰を受け継いだ。16歳で巻き網漁師となり、北海道や台湾周辺の遠洋にたびたび赴いた。「海に出ていたから不安になるときもあった。そういうときも心のどこかで『おかみさま(=マリア)』を思っていた」

2001年に遠洋漁業をやめ、その後は近海で定置網漁をするようになった。隠れキリシタンの行事を仕切る「オヤジ」役になったのもその頃。地域に4つあった信徒グループの代表者が川崎さん宅に集まり、クリスマスやイースターといった行事をしてきた。

マリアの掛け軸を前に祈る川崎雅市さん(長崎県平戸市)

マリアの掛け軸を前に祈る川崎雅市さん(長崎県平戸市)

しかし早朝の礼拝や多数の行事への参加など「信仰が厳格だった。若者には大変だったと思う」と川崎さん。一緒に行動する信徒は次第に減り、10年ほど前から行事は1人で続けている。「先祖の教えだから自分の代で終わらせたくないけど、実際に続けていくのは厳しい」とうつむく。家を出た息子(28)には洗礼を受けさせていない。

島南部の博物館「島の館」の学芸員、中園成生さんは「島の経済が信仰を支えてきた面もある」という。生月島はかつては捕鯨などの漁業や建設業で栄えた。平成になるまで、島の人口約1万人のうち半数以上が信徒だったという。

しかし過疎化とともに島の経済基盤も衰退。今は人口約6000人に対し、信徒は300人ほどという。

世界遺産登録が決まれば、生月島にも観光客が訪れると見込まれる。だが川崎さんは「世界遺産になっても何も変わらない。できるならこのままいつも通り、静かにお祈りしていきたい」と語った。

■400年超す「隠れ」の文化

今回の世界遺産への推薦を巡っては、ユネスコの諮問機関から「禁教期にひそかに信仰を続けた歴史に焦点を当てるべきだ」と指摘され、名称に「潜伏キリシタン」を採用した経緯がある。

1549年にキリスト教が伝来。だが豊臣秀吉がバテレン追放令、江戸幕府が禁教令をそれぞれ出し、信徒を弾圧した。信徒は表面上は寺の檀家になるなどして、陰ながら信仰を続けた。

「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」の違いは何か。学術的には禁教期に仏教徒などに見せかけてひそかにキリスト教を信仰した人々を「潜伏キリシタン」と呼び、明治に入り禁教が解けた後も信仰を続けた人々が「隠れキリシタン」とされる。本来のカトリックとは異なり、土地の習俗なども影響した独自の信仰文化を形成している。

「隠れキリシタンの信仰は仏教や神道と同居している。正月に神社に行き、結婚式は教会、葬式は仏式というのと同じだ」。生月島の学芸員の中園成生さんは説明する。江戸期に他教徒のふりをした振る舞いが、今も生き続けている。

400年を超す「隠れ」の文化だが、今も伝承されているのは長崎県の外海地区(長崎市)、生月島(平戸市)、五島列島など一部地域に限られる。

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