2019年8月24日(土)

戦禍、盗難 超える慈愛 腹帯観音像(もっと関西)
時の回廊

2018/6/20 11:30
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琵琶湖の北部、滋賀県長浜市を中心とする湖北地区。130を超える観音菩薩(ぼさつ)像が各集落に鎮座する観音の里だ。その中でも長浜市西浅井にある大浦十一面腹帯観音堂の十一面腹帯観音菩薩ほど数奇な運命を辿(たど)ったものはない。

安産を祈願する腹帯が巻かれている十一面腹帯観音菩薩

安産を祈願する腹帯が巻かれている十一面腹帯観音菩薩

高さ約160センチ。比叡山延暦寺の開祖、伝教大師最澄がカヤの木を一刀彫にしてつくったとの伝承がある。頭上に小さいながらも表情豊かな十一の菩薩面を配し、慈愛に満ちた表情は何か引き込まれるものがある。高月観音の里歴史民俗資料館(長浜市)の佐々木悦也学芸員は「顔の雰囲気や体全体の穏やかな作風からみて平安時代末期の作と考えられる」という。

経年のため、ひび割れや虫損が著しく文化財指定は受けていない。だが一般的な価値観では計りきれない神々しさがある。他に類を見ないのが肉付きのよい腰と少し膨らんだ腹に晒(さらし)の腹帯がまかれていることだ。

■池に沈め守る

湖北地区は戦国時代、姉川や賎ケ岳(しずがたけ)の戦いなど合戦の舞台となった。その結果、寺社などほとんどの建造物は焼失した。だが多くの観音像だけは残った。なぜなのか。佐々木学芸員は「地域の人が観音像を守ろうと土に埋めたり、池や川に沈めたりした」と話す。

この腹帯観音もそうだ。伝承では姉川の戦いの際、近くの池に沈められたが、88年後に池の底の泥から掘り出された。泥だらけになった体を多くの晒で清めた。その晒を腹帯として地域の妊婦に分けたところ、皆が安産であったという。

昭和6年に再建された大浦十一面腹帯観音堂

昭和6年に再建された大浦十一面腹帯観音堂

観音像の御利益を得た腹帯は安産をもたらす。それが広まり、参拝者の安産祈願を願う腹帯が巻かれるようになる。腹帯観音と呼ばれる由縁だ。時を経た今も、関西圏を中心に年に約1000人を超える祈願があり、参拝者の晒は1週間ほど像の腹部に巻かれる。

観音堂は現在、地域の11人の世話人が守っている。戦国期に湖北各地にあった寺は焼失し、住職もいなくなった。残った観音は宗派の枠を超え村の本尊として迎えられた。腹帯観音もその一つ。世話人の一人、小川俊之さんは腹帯観音を「うちの観音さん」と親しみを込める。仰ぎ見るのではなく、そこにあるのが当たり前のように接する。

■懸賞で犯人逮捕

災難は15年前にも起きた。2003年9月。何者かに腹帯観音は盗まれた。何とか取り戻したい。世話人が持ち寄った300万円を懸賞金として行方を必死に追った。「年配の世話人からは『金を懸けるのは罰が当たる』『必ず帰ってこられる』など批判的な意見もあったが、とにかく早く戻ってきてほしいとの一心からだった」(小川さん)

1年半後、犯人グループから連絡があり、無事に腹帯観音は戻ってきた。犯人もその場で逮捕された。受け渡しの現場にいた小川さんは「緊張とうれしさで足が震えた」と思い起こす。

腹帯観音が不在だった1年半。小川さんは参拝者は来ないのではと懸念したが、祈願は絶えず地域を超えて行われた。だからこそ400年以上、地域で守り続けた観音を次の世代に引き継ぐ責務があると思う。

湖北地方では子供が生まれることを「もらう」と言う。命は天からの授かりもので誰のものでもない。佐々木学芸員は「観音も同じ。誰のものでもない。生きている人が預かっているだけ」と話す。観音信仰は今も湖北に息づいている。

文 大津支局長 橋立敬生

写真 山本博文

《交通》JR湖西線永原駅徒歩約15分。北陸自動車道木之本インターチェンジから車で約20分。観音堂を拝観する際は事前連絡が必要。電話090・5256・8143
《ガイド》十一面腹帯観音菩薩以外にも堂内には地蔵菩薩と毘沙門天が安置されている。いずれも姉川の戦いで焼失したが、江戸時代の享保3年(1718年)に新たに作製された。

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