宇都宮の小さな蔵が世界SAKE評価で輝き 虎屋本店
ぶらり日本酒蔵めぐり(1)

栃木県庁のすぐそばに、ビルに囲まれてたたずむ、創業230年の酒蔵、虎屋本店がある。近江の五個荘(現・滋賀県東近江市)にルーツを持つ近江商人が、かつては宿場町でもあり、いまは県都としてにぎわう宇都宮で、酒造りの伝統をつないできた。
大きなコイたちがすみつく小さな水路に面した簡素な門構えのこの蔵は、ここ数年、全国新酒鑑評会や国際的なワイン品評会で高い評価を受けるなど、上質の日本酒を世に送り出す造り手として輝きを放っている。

2018年5月、虎屋本店は相次ぐ朗報に沸いた。まず国際ワイン品評会、インターナショナル・ワイン・チャレンジ(IWC)の審査結果。出品した「七水55 純米吟醸」「菊 純米大吟醸~栃木の紅菊」「菊 純米大吟醸」のすべてが金メダルに輝いた。下旬には平成29酒造年度全国新酒鑑評会の結果がもたらされ、3年ぶりに金賞を獲得した。
IWCは1984年からロンドンで開かれている世界最大規模のワイン品評会。2007年から「SAKE部門」が設けられた。純米、純米大吟醸、本醸造、スパークリングなど9つのカテゴリーに分けて審査し、トロフィー、金、銀、銅などに格付けして表彰する。審査には世界のワインの専門家も参加、国内の品評会に比べて出品酒の持つ長所に焦点を当てるのが特徴とされる。
年間にいくつもある品評会の中で、虎屋本店は今、IWCに特に力を入れているのだという。IWCには昨年度、初めて出品。純米大吟醸のカテゴリーで最高賞の「トロフィー」を受賞した。営業部長の小堀敦さんは「宣伝効果は絶大だった」と振り返る。
受賞がきっかけとなり、ドバイの高級レストランから引き合いが来た。外務省からも発注が舞い込んだ。ポーランドとアンゴラの在外公館に配備するという。「シンガポールや台湾の商社からもオファーがある。IWCへの注目度を身をもって知った」(小堀さん)
虎屋本店の生産量は200~250石(一升瓶で2万~2万5000本)。小規模な蔵だ。付加価値の高い吟醸酒などの生産に注力する。東京都や神奈川県、関西圏にそれぞれ5~10軒の特約店があり出荷しているが、大半は地元消費に回る。
輸出はまだ「(出荷量の)5%程度」(小堀さん)という。それでも社長の松井保夫さんは「輸出はおもしろい」と力を込める。新しい販路や取引先ができてゆくさまには、成熟が進んだ国内市場にはない躍動感がある。

IWCに出品した銘柄の一つ、「菊 純米大吟醸~栃木の紅菊」は栃木県で開発されたコメと酵母で造った。1975年生まれの杜氏(とうじ:酒蔵の製造責任者)、天満屋徳さんは「オール栃木を意識した」と話す。栃木県農業試験場は2000年代半ばから独自に酒米を開発してきた。その過程で、虎屋本店は3年前から試験醸造に協力、酒米についてのデータを開発チームにフィードバックした。
そんな縁が金メダル酒を生んだ。「吟醸らしいうま味と甘みが備わり嫌みがない。(代表的な酒米の)山田錦に替わる原料米として期待している」と天満屋さん。その酒米は今年2月、「夢ささら」として品種登録され、本格的に作付けが始まっている。
酒の香味は酵母が決め手を握る。酵母は酒造りの過程で糖からアルコールを作り出す微生物。酵母が糖を食べることでアルコール発酵が起こる。公益財団法人日本醸造協会が頒布する酵母は協会系と呼ばれる。自治体の試験場や民間企業が開発したものもある。このところ醸造家の人気は香りが強いタイプに集中している。数ある酵母から何を選ぶかは杜氏の腕の見せどころだ。「栃木の紅菊」には栃木県産の2種類の酵母をブレンドして使った。

酵母選びには、天満屋さんの造り手としての誇りや酒に込めるメッセージ、流儀が凝縮されている。やはりIWCに出品した「七水55 純米吟醸」も栃木県産の2種類の酵母をブレンドして造った。その2種類は「香りと味わいの要素をどちらも感じられる配合にした」という。
「毎日晩酌して飽きない味を演出するには香りばかりが強調されてもいけない」と天満屋さんは考える。今回の「七水55」は味わいの要素を持つ酵母を入れ替えた。出品予定銘柄の酵母を変更するのは多少の勇気を必要とするのだろう。しかし天満屋さんは「9年間、杜氏を務める中で酵母の特徴は大体つかめた」と胸を張る。
もう一つのIWC出品銘柄「菊 純米大吟醸」で使ったのは協会系の「きょうかい1901」と呼ばれる酵母。鑑評会で高い評価を受け、醸造家に人気のある酵母「きょうかい1801」に比べて、「よりワイルドで味わいがしっかり出ると思い1901を使った」と天満屋さん。「よその蔵と同じようなものは造りたくない」と笑う。
天満屋さんは商社マンを経て2003年、酒造りの現場に飛び込んだ。商売よりものづくりに魅力を感じたからだ。醸造学の知識も実務経験もなく、当時の杜氏にイロハから教わった。虎屋本店で50年間、杜氏を務めた師匠は妥協を許さず、「指導は厳しかった」(天満屋さん)。それでも小さな蔵だったのが幸いし、一挙手一投足を間近で見て酒造りの要諦を会得していった。
もっとも、天満屋さんの酒造りは、この師匠とはひと味違う。「古い得意先からは、味が変わった、という声も人づてに聞こえてくる」(天満屋さん)という。変化の裏には、もう1人の師匠の存在がある。

最初の師匠が辞めた後、天満屋さんが杜氏に就くまでの2年間、別の杜氏が仕切った。前の師匠は新潟県が本拠の越後杜氏、その後仕えた杜氏は岩手県の南部杜氏だった。越後杜氏も南部杜氏も有力な杜氏集団だが、酒造りの手法が違うとされ、実際、味の傾向も違う。新潟の酒が淡麗なのはコメや酵母の種類によるだけではなく、造り方にもよるといわれる。
天満屋さんは越後杜氏の師匠を尊敬していたが、違和感もあったという。例えば、酒を絞った後に余分な雑味などを取り除く工程で、炭素ろ過する際に炭を大量に使うよう教えられた。炭の量が多いと「きれいな酒にはなるが、コメのうま味まで失われるのではないか」と天満屋さんは感じていた。南部杜氏はまったく逆のことを言った。「そんなに炭を入れなくていい」。味わいの深さを重視しきれいすぎない酒を目指す天満屋さんの姿勢は、2人の師匠の下で完成されていった。

「下野杜氏」と呼ばれる、新しい杜氏集団がある。2006年に資格認定の1期生が生まれ、現在は25人が活動している。天満屋さんもその1人。栃木県内で酒造りの技能の伝承と職人の育成を目指してできた。下野杜氏の大半は30代後半から50歳前後まで。
下野杜氏は組織として酒の造り方を統一するとか、酒蔵に杜氏を派遣するといった活動はしていない。それでも、2009年に杜氏となった天満屋さんは「酒造りにまつわる悩みは尽きない。同世代の杜氏同士で情報交換したりヒントを教え合ったりできるのは心強い」と評価する。
虎屋本店はJR宇都宮駅からバスで5分余りの場所にある。栃木県庁と二荒山神社に近く、宇都宮駅との間にはギョーザの名店も点在する。酒を入手するにはホームページでインターネット直販を利用するのが確実。平日の営業時間中は事務所でも買える。一般向けの蔵見学は受け付けていないが、相談には応じてもらえるかもしれない。

虎屋本店から3分ほど歩いたところに、民家のような外見の利き酒スペース「酒々楽(ささら)」がある。栃木県酒造組合の事務所に併設されている。栃木県内33蔵の銘柄が4種類ずつそろう。栃木県は平成29年度全国新酒鑑評会で9銘柄が金賞を受賞するなど勢いに乗っている。
地元でしか流通しない酒もここでは飲める。1杯100円均一なのだが、酒の値段によって異なる容量のグラスを渡される。営業時間は平日午後5~7時と、なんとも優しくない設定なのだけれど、平日の夕方、宇都宮の市街地をさまよう幸運があれば立ち寄ってみてはいかがだろうか。
(アリシス 長田正)
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