2018年6月25日(月)

関西でブルースなぜ盛ん? 反体制、京都の学生に響く(もっと関西)
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コラム(地域)
関西
2018/6/14 11:30
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 憂歌団、上田正樹とサウス・トゥ・サウス――。日本の有名なブルースバンドやミュージシャンは関西出身者が目立つ。ブルースを積極的に取り上げるライブハウスや音楽フェスも関西に多いようだ。米国の黒人音楽がこの地に根付いたのはなぜだろうか。音楽関係者に尋ねて回ると「京都の学生文化」「主流派への対抗心」といった背景が見えてきた。

40年以上歌い続ける木村充揮さんのライブには古くからのファンらが詰めかける(5月19日、大阪府茨木市)

40年以上歌い続ける木村充揮さんのライブには古くからのファンらが詰めかける(5月19日、大阪府茨木市)

 5月中旬、大阪府茨木市の音楽バー「時代屋」。憂歌団のボーカル、木村充揮さん(64)のソロライブは、古くからのファンらで身動きできないほどの盛況だった。

 曲順はその場の雰囲気で決まる。終盤になると、女性客が「天王寺、聞きたい!」と叫んだ。「そんな簡単には聞かされへんで……」。照れながらも木村さんが歌い始めた。「♪大阪 南の玄関口は 通天閣がそびえ立つ……」

 1975年のデビュー以来、生活に根差した言葉にこだわる。レコード会社などが集中する東京へ進出するミュージシャンも多いなかで、ずっと大阪を拠点にしてきた。「東京は流行に敏感すぎるから……」(木村さん)

 「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」のメンバーである歌手・ギタリストの有山じゅんじさん(65)も長年、関西を拠点にしてきた。「若いときは『東京はカッコつけやがって』という対抗意識があった。今になってみると間違いだったけど……」と苦笑いする。

 京都精華大の安田昌弘教授(音楽社会学)によると、日本で本格的なブルースが知られるようになったのは70年ごろ。フォークやロックのファンが、海外ミュージシャンに影響を与えた黒人音楽に注目した。さらに「ブルースの王様」と呼ばれたB・B・キングの初来日(71年)などで、熱が一気に広がった。

 レコードを聴くのが中心だった東京のファンに比べ、大学の音楽サークルが活発だった京都では自ら演奏しようとする若者が相次いだ。最盛期は100以上のブルースバンドがしのぎをけずっていたといい、「ウエスト・ロード・ブルース・バンド」がプロデビューするなどブルースの本場として京都が全国から注目されるようになった。

 老舗ライブハウス「拾得(じっとく)」(京都市上京区)が開店した73年はまさにそんな頃。オーナーの寺田国敏さん(69)は「毎日のようにブルースバンドが出演していた。当時の若者にとって一番新しい音楽だった」と振り返る。「学園紛争が下火となり、心にぽっかり穴が開いたようになっていた反体制志向の若者に火を付けた」

 京都出身のギタリスト、田中晴之さん(63)もそんな若者の一人だった。拾得でのウエスト・ロードの演奏にショックを受け「このサウンドをやると心に決めた」という。

 しかし、ブームを支えていた大学生らは卒業、就職し各地に散っていく。フュージョンなど新たなジャンルに押され「ブルース受難の時代が続いた」(田中さん)。演奏の機会は減ったが、田中さんは市バスの運転手などをしながら演奏活動を続けた。

 「風向きが変わったのは90年代後半から」(田中さん)。60~70年代の音楽の再評価が進んだほか、仕事や子育てが一段落して「団塊の世代」のファンが戻ってきたという。

 最近のライブは年配客が目立つが、若い世代に引き継ごうという動きも出てきた。2016年に大阪市浪速区で「なにわブルースフェスティバル」がスタート。年1回の開催で、ベテランから若手まで20組以上の出演者が2日にわたって登場する。

 主催するNPO法人のメンバーで、ライブハウスの運営会社を経営する津田清人さん(61)は「今のうちに伝えなければという危機感がある」と打ち明ける。

 関西ブルースを支えてきた関係者は多くが60代以上。近年、有名ミュージシャンの訃報も相次いだ。「あらゆるポップスの源流にあるのがブルース。廃れてしまえば日本の音楽全体が薄っぺらくなってしまう」(津田さん)

 反体制の若者文化から、世代を超えた音楽に――。時代とともに位置づけは変化しても、関西ブルースの熱い魂は変わらない。

(大阪社会部 覧具雄人)

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