上方落語協会の新会長に笑福亭仁智(65)が就任した。15年務めた前会長の桂文枝(74)は、約60年ぶりの上方落語の定席「天満天神繁昌亭」(大阪市北区)開設など華やかな実績を残した。強いリーダーシップを発揮した大看板が退き、若手・中堅の活力を生かす協会運営がこれまで以上に求められる。
先月末、天満宮境内での就任会見に仁智は紋付きはかま姿で出席。「前会長の下で突き進み、走ってきた協会が見過ごしてきた部分もある。ぼちぼち歩きながら、そういったところを手当てしていきたい」と意気込みを語った。
手当ての一つが若手の育成だ。「野球の大谷翔平選手のようなスターが出てきてほしい」。繁昌亭開設以降、入門者が増え、協会の加盟者数(三味線含む)は現在260人。開設の2006年は200人に満たなかった。厚みを増した若手世代から「(多くのタイトル獲得棋士がいる)将棋の"羽生世代"のように、人気者の塊を生み出せたら」
狙ってできるものではないが、繁昌亭だけでなく神戸・新開地で7月にオープンする演芸場「喜楽館」をはじめ「活躍の場を増やし、地道に下地を整えたい」という。東京や名古屋などとの交流を促進する計画もある。若手が全国で腕を磨く機会が増えそうだ。
■繁昌亭の功績
15年にわたる文枝時代も追い風ばかりではなかった。上方落語を再興し、現在の礎を築いた桂米朝ら「四天王」が相次いで鬼籍に。その後も勢いを維持できたのは、何と言っても繁昌亭の存在が大きかった。
ベテラン落語家らは「上方落語の定席復活は四天王ですら姿を描けなかった」と口をそろえる。実現できたのは地元や経済界など外部の支援や協力を取り付けた文枝の豪腕あってこそ。当初「もって1、2年」との見方があったが、文枝自身の知名度を生かしたメディア戦略などで観客を呼び込み、上方落語の本拠地として定着させた。
繁昌亭について上方芸能史研究者の荻田清・梅花女子大学名誉教授は「テレビなどメディア露出が少ない、地味ながら本格派の落語家にも光が当たるようになった」と評価する。
所属事務所の枠を越えて落語家同士が学び合い、競い合う風土も強まった。協会の要職を歴任したベテランの笑福亭松枝(67)は「繁昌亭開業後、(自身の)練習量もネタも席の数も確実に増えた。上方落語全体で芸のレベルがグッと上がった」と言う。
そんな繁昌亭もオープンから12年。チケット完売が続いた当初の人気はとうに去った。仁智は「この2年ほどで、昼席の動員が(その日出演する)落語家の人気に左右される傾向が強まった」とみる。席数は216。手薄な団体向け営業などを強化し、現在は平均170人程度の昼席の観客の1割増を目指す。
■「アイデア拾う」
繁昌亭は落語愛好者の裾野を広げる一方、目の肥えたファンからは「どの落語家も笑いをとりやすい同じネタばかり」との不満も聞かれる。仁智は「師匠から弟子へネタの継承がしっかりできていない部分もあるのでは。育成の仕組みを協会で考えたい」とする。松枝も「上方の文化や歴史の勉強が不足かも」とみる。
新会長は人望厚く「スター街道を歩んだ前会長と違い、落語で食べていく苦労を知る。いろんな人の声を聞いてくれるはず」(ベテラン落語家)と期待する声は落語界に多い。仁智自身も「誰かのアイデアを拾うのは得意」と自認する。まず「委員会の議事録を協会員に公開するなど、風通しをよくしたい」という。
文枝は「新会長が自由に動けるように」と無役になった。強いリーダーシップでけん引した文枝時代に続くのは、若手・中堅の意見やアイデアも積極的にすくい上げる総力戦の仁智スタイル。新たな上方落語協会が動き出した。
(大阪・文化担当 佐藤洋輔)