皇太子ご夫妻、結婚25周年 写真で振り返る歩み

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2018/6/8 17:01
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■雅子さまの変調

待望の第1子誕生後も、「お世継ぎ」を巡る重圧は依然としてご夫妻にかかり続けた。雅子さまは「適応障害」と診断され長期療養生活に。皇太子さまの「人格否定発言」は大きな波紋を呼んだ。さらには小学生に成長した愛子さまが長期欠席されるなど、様々な困難が押し寄せた。だがご一家はそのたびに強い絆で支え合い、乗り越えようとされてきた。

皇太子ご夫妻と愛子さま(2003年5月30日、東宮御所)

皇太子ご夫妻と愛子さま(2003年5月30日、東宮御所)

「(結婚後)外国訪問がなかなか難しいという状況は、正直申しまして適応することに大きな努力がいったということがございます」。02年12月、雅子さまはニュージーランドとオーストラリアへの訪問を前にした記者会見で、外交官から皇室入りした生活の変化への戸惑いを吐露された。

■「人格否定」発言

雅子さまは03年12月には帯状疱疹(ほうしん)で入院。皇太子さまは翌04年5月の訪欧前の記者会見で雅子さまの体調について「外交官としての仕事を断念して皇室に入り、国際親善を皇族としての大変な重要な役目と思いながらも、外国訪問をなかなか許されなかったことに大変苦悩しておりました」と胸中を代弁された。

皇太子ご夫妻の歩み
1986年10月東宮御所でのスペイン・エレナ王女のレセプションで出会い
92年10月新浜鴨場(千葉県)で皇太子さまがプロポーズ
93年1月皇室会議で婚約が内定
6月結婚の儀。東京都内をパレード
94年11月結婚後初の海外訪問となる中東4カ国訪問
95年2月阪神大震災の被災地お見舞い
99年12月雅子さまが流産の手術
2001年12月愛子さま誕生
02年12月ニュージーランド・オーストラリア訪問。訪問前の記者会見で、雅子さまが「外国訪問が難しいという状況は、正直申しまして適応することに大きな努力がいった」と発言
03年12月雅子さまが帯状疱疹を発症し入院。以後、療養生活へ
04年5月皇太子さまが訪欧前の記者会見で「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言
7月宮内庁が雅子さまの病名を「適応障害」と発表
06年8月ご一家でオランダ静養
07年6月皇太子さまが十二指腸ポリープの手術
10年1月阪神大震災15年の追悼式典に出席
3月愛子さまが通学に強い不安感を訴え学校を休まれていると宮内庁が発表。以後、雅子さまが通学に付き添い
11年  
4~8月
東日本大震災の被災地や都内の避難所訪問
13年4~5月オランダ訪問。雅子さまにとって11年ぶりの海外公式訪問
11月東日本大震災で被災した岩手県を訪問。雅子さまの宿泊を伴う地方公務は3年9カ月ぶり
14年10月オランダ国王が国賓として来日。歓迎行事は5年半ぶり、宮中晩さん会は11年ぶりに雅子さまが出席
15年7月トンガ訪問
11月秋の園遊会に雅子さまも12年ぶりに出席
16年8月天皇陛下がビデオメッセージで退位の意向を示唆される
18年5月皇后さまがご一家を紅葉山御養蚕所に案内。雅子さまが養蚕を引き継がれることに
雅子さまが全国赤十字大会に15年ぶりに出席。皇后さまが関係者に紹介される

この時の会見で飛び出したのが、いわゆる「人格否定」発言だ。

皇太子さまは雅子さまが体調を崩された背景を「この10年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、私の見るところ、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と述べられた。

この発言は大きな波紋を呼び、心配された両陛下が側近を通じ「改めて具体的な内容を説明しないと、国民も心配する」と伝えると、皇太子さまは「個々の動きを批判するつもりはなく、現状について皆さんに分かっていただきたいと思ってしたものです」とする文書を公表された。

この間も雅子さまの体調はなかなか回復せず、宮内庁は同年7月、病名を「適応障害」と公表。長い療養生活は今日に至るまで続く。皇太子さまも07年6月に十二指腸ポリープ手術のため入院。10年3月には、学習院初等科2年生だった愛子さまが通学に強い不安感を訴え、雅子さまが通学や授業に付き添われた時期もあった。

幼児期の愛子さまを巡っては、天皇陛下が06年の誕生日記者会見の場で、愛子さまに会う機会が少ないのが残念として「いずれは会う機会も増えて、打ち解けて話をするようになることを楽しみにしています」と述べられた。これに対し皇太子さまは「両陛下とお会いする機会をつくっていきたい」と述べられたが、ご一家で皇居を訪問する回数は増えなかった。08年2月に当時の羽毛田信吾長官が「ご発言を大切になさってほしい。両陛下も心配されている」と異例の苦言を発したこともあった。

■東日本大震災

避難所となった味の素スタジアムの体育室を訪問し、被災者と話す皇太子ご夫妻(2011年4月6日、東京都調布市)

避難所となった味の素スタジアムの体育室を訪問し、被災者と話す皇太子ご夫妻(2011年4月6日、東京都調布市)

2011年3月、日本を再び大規模地震が襲った。1万8千人を超す死者・行方不明者を出した東日本大震災。皇太子ご夫妻は翌4月、福島県などから避難してきた人々が身を寄せる東京都内の施設を訪れ、被災者に「お体はいかがですか」などと声を掛けられた。同年6~8月にはご夫妻で宮城、福島、岩手の被災3県をそれぞれ日帰りで訪問。仮設住宅を見舞うなどして励まされた。

仮設住宅を訪問し、富岡町から避難してきた住民と話す皇太子ご夫妻(2011年7月26日、福島県郡山市)

仮設住宅を訪問し、富岡町から避難してきた住民と話す皇太子ご夫妻(2011年7月26日、福島県郡山市)

こうした中、雅子さまの体調にも変化の兆しが訪れる。東宮職医師団は同年12月の雅子さまの誕生日に当たり、なお心身の状態に波があるとする一方、被災地訪問について「着実な快復の兆候」と指摘。13年4~5月には約11年ぶりの海外公式訪問となるオランダ訪問を実現された。皇太子さまは同年6月の記者会見で、この訪問が「1つの自信になったと思います」と述べられている。

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